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2019年8月 4日 (日)

2019年夏の岡山行でついに伊部駅前、旧品川白煉瓦トロッコ軌道跡を探索

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2019年夏の岡山行は、念願の備前焼の町、伊部を散策となったのだった。

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京都府亀岡から国道372号で姫路に出ると、台風の雲はどこへやら、完全に真夏になっていた。今回は私が緑内障手術明けだから、運転は主にえりこさん。余計な寄り道は避けて、休み休みのドライブ。

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前夜も早めに出ていたから、逆に時間に余裕が出たため、国道2号沿いの伊部駅前を散策することとした。

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駅前の観光用駐車場に'69ビートルを止めると早速、国道の向こう側の備前焼の町を歩きだした。

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どこへ行っても古い町は寂れつつあることを感じて歩く。「備前焼」も今は観光にならないのだろう。

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歴史ありそうな古い家々が点在しつつも、少しずつなくなって行っていることを感じる。

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いくつかの焼き物の窯は健在なのだろう。煙を上げている煉瓦煙突も見かけた。

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煉瓦煙突が林立する光景が備前焼の町を象徴していて良い。

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備前焼の神社の狛犬。

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橋のたもとに置かれた備前焼のお地蔵さん。妙につるつるとしていて愛嬌を感じる。

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不老川のところまで行き北上して向かったのは旧品川煉瓦の工場である。

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工場脇の塀は様々な煉瓦が積まれていた。

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実は品川白煉瓦は、片上港の手前、浦伊部まで線路を敷いてトロッコで煉瓦を運んでいた。

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何年か前からGoogle mapで線路跡に目星をつけていた。実はその跡を実際に辿ってみようということだ。

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旧品川白煉瓦の工場であるが、右手から線路は通りを横切り、門を抜け、工場内に入っていた。

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門の道を挟んだ反対側に狭い路地がある。ここが線路跡だとにらんでいる。そして線路跡を辿って行けば伊部駅へと戻れるからでもある。

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これが品川白煉瓦の工場の門を出た線路が抜けていたところである。線路は少し先で左に折れるようにカーブして斜めに町を抜けていく。ただこの先は民家の敷地の様でもあるため、一本先の道で出口側に行く。

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右手奥が工場であり、そこから路地に入った線路は左カーブをして斜めに町を抜けるが、ブロック塀が斜めになっている部分がそうである。

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その斜めの延長線上が、写真右手に延びる小道である。

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右手の道に入ると線路跡は真っ直ぐに続くが、写真奥のブロックのところで途切れる。但し、そこのブロックは変則的であり、小道を塞ぐように延長したかのようにも見える。恐らくその部分を線路は抜けていたのである。

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線路跡を振返る。緩い上り勾配で工場へと続いているのが分かる。完成した煉瓦をトロッコに載せて工場から運ぶにはちょうど良い下り勾配であったであろう。

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行き止まりとなった線路跡であるが、狭い抜け道が脇にあった。それを吹けると正面には線路跡の小道が続いているのが分かる。

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現場では良く分からなかったが、写真を撮影して立っている場所辺りから線路は右に折れていた。そして現在の備前信用金庫の東側を抜け、現在の伊部駅構内を横切り、不老川へ出ると、そこからは川沿いに線路は延び、浦伊部へと続いていた。

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線路跡の先の道で国道2号に出ると、渋い駅前食堂が残っていた。その昔、食堂の右手の方を煉瓦を運ぶトロッコ軌道が延びていたのである。

まあ、歩いた線路跡は私の推測なのだが、当時の地図と比べると、ほぼその通りの道であり、線路跡といってよいと思う。

明治後期から昭和32年まで使われたとのことで、永年使われたトロッコ軌道だった。廃止後60年以上を経過したものの、奇跡的に伊部駅前の工場までの線路跡は8割がた残っていた。大変貴重なトロッコ軌道の小道、観光資源として、歴史的遺構として、観光活用し保存して欲しいと思うのだった。

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