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2018年4月10日 (火)

2018年4月7、8、9日 カブリオレで京都亀岡へ その3

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さて、南彦根というか中山道高宮宿近くのホテルを後にして帰路につく。ホテルを出ると新しいビートルが見送ってくれた。

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前夜に見つけたビリオン珈琲という店でモーニングとしそのままビートルを置いて少々の散策に出る。昨晩、高宮宿と知ったこともあるが、近江鉄道の高宮駅も見てみたい。

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駅に向かうと間もなく中山道が横切っていた。そして、宿場の面影を色濃く残していたのに驚く。昨晩歩いたのは、この裏の通りだったのだ。

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凄いのは、中山道沿いだけではなく、裏通りにも古い家々が残っている点だ。大きな宿場ったのであろう。

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中山道を歩き駅への道へと入る頃、煙突を見つける。「あれは酒造だよ。あそこまで行こう」と言いつつもまずは駅へ。

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駅前も古い。中山道の宿場に隣接して造られたようだ。駅舎は奇麗になってしまっているが、良い風情である。

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駅構内を期待して見に行ってみると駅舎以外はホームの屋根もなにもかもが昔の面影を残していた。

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駅員さんの許可をいただいてホームに入り辺りを眺めて写真を撮る。

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この駅は多賀大社までの多賀線が分岐し、ホームは三角になっている。そのホームに挟まれたところに残る建物は待合室であろうか。

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ホームに置かれたベンチも木製の渋いものである。残しておけば、残っているのである。古き良き時代が。

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留置線もあり、そこには西武鉄道からやってきた比較的新しい電車が留められていた。

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三角のホームの先端から両サイドに広がっていくホームを撮ろうとしていたら、良い具合に多賀線の電車がやってきた。

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三角のホームの両サイドに同じ色の電車が停車した。ここは殆どの列車が乗り継ぎ、乗り換え出来るような運転らしい。到着した電車から数人の乗客が、先ほどから本線で到着を待っていた電車に急ぎ足で乗り換えていた。

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運転手と駅員が何か会話をして、多賀線の電車は発車していった。

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そして、駅員は本線のホームへと向かい、こちらでも何か会話をして電車は発車していった。

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そんなのどかな光景を眺めると、私たちは高宮宿へと戻る。

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そして、先ほど見た煙突の方向へと歩く。宿場の家々が密集していて煙突は見えないのであるが、見当をつけて歩いた。

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「この辺りか?」と覗いた路地の先に煙突が現れた。細い路地、左手はずっと酒蔵のようだ。

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建物が開いていたのて中を覗くとおぱさんがいて、愛想良くお話をしてくれた。

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しかし、古くて立派な酒造である。いや、今はお酒は造っていないらしい。「よそで造っているのだけど、同じ味たよ。上手いこと作ってくれるね」などとおばさんは言っていた。酒造になったのは明治になってかららしいが、それ以前からここにあったらしい。

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昔ながらの猩々菊は一升瓶だったので一合徳利に入ったのを2本もらい、四合瓶の純米酒をいただく。家に帰って翌日飲んだのだが、この純米酒が美味しかった。なんだろう。日本酒らしい味というか、甘さは控えめながら、妙に甘い香りが喉から漂ってくる。何口飲んでも変わらない。

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音瀬酒造の脇から細い道で中山道へと出る。街道沿いの家々は後ろ姿も美しい。

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細い路地から振り返れば、立派な音瀬酒造の建物がいつまでも見えていた。

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11時近くになって高宮宿を後にする。これから中山道ルートの国道21号で土岐市へとビートルを走らせる。まずは、えりこさんの運転だ。米原、関ヶ原と抜け、大垣辺りでガソリンと休憩。30km程だったか、ここでドライバー交代。

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美濃加茂から可児市に入ったところで昼食。

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そして着いたところは、こちらの製材所跡。跡といっても平成28年頃まで稼働していたらしい。職人さんが高齢で引退して、今は静か。

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許可をいただいて撮影したが、今回はこんな写真を。古い板塀の隙間から見たトロッコの線路である。

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午後3時半過ぎに国道19号へと出て、ここからは寄り道なしで帰る。空は相変わらず怪しい雲が流れ、時折雨を降らせる。走っていると小さな機関車のようなものを積んだトラックが。気になったのでえりこさんに望遠で撮ってもらっていたが、信号待ちで近づいた。小さな機関車の遊具の様だ。

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木曽路は天気が悪いせいか、走った時間帯が早かったせいか、意外と流れが遅かった。そんな中、信号待ちで真正面に自分たちのビートルが映った。ついつい一枚というか、何枚か写真を撮ってしまった。

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塩尻でガソリンを給油し、いつものすき家で夕飯。牛丼のミニとサラダセット。

ここからは塩尻峠、和田峠、笠取峠、内山峠と峠が続く。えりこさんは「群馬に入ったら運転するから」と言っていたが、左ハンドルに余ほど疲れたようである。群馬の下仁田でコンビニによると、私がそのまま一気に自宅まで運転となった。

最近、「昭和が遠くなった」と感じていたのであるが、中山道を走り、寄り道をして、京都市でも寄り道をして、そして亀岡でも散策をしたりして、一気に昭和を充填したような気持になった。

備忘録として書いておくが、下仁田の消防署に近づいたところで、突然サイレンが鳴り響き、パトカーと消防自動車が目の前に飛び出してきた。その後も二度ほど緊急自動車とすれ違ったのであるが、山火事だったらしい。いやいや、突然飛び出たサイレンと赤色灯には心臓がバクバクした。

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