大崎の達人。信沢あつし
昼休みに事務所に顔を出すと、「あら、信沢さんいたの!?」に続き、「今日はどこに食べに行くのですか?」と聞いてきたので、迷わず「とんかつ一松ですよ。」と答える。
「え~私、一松に行きたかったんですよ。」
「一度連れてってもらったけれど、道が分からなくて。」
「今度いつ来るんですか?」
「次は10日。本番だから」とのことで、確か火曜定休だから金曜なら大丈夫と約束をして、私は一松の下見に出たのであった。
しかし、行ってみると看板が出ていない。何かおかしいと思い近づいてみると貼り紙がしてあった。
「…もうしばらくの間、お休みさせていただきたく…」とのこと。
おじさんも、おばさんも元気にしていたが、数日前から休んでいるようだ。「もうしばらく」というのが、開けようとしたけど開けられなかったことを伝えている。
「さて、お昼の店が閉まっていて困った」などということはない。何しろ、地元の会社の人を案内して連れて行ってあげるほどの「大崎の達人」なのだから。
ちゃんと一松に行きながら「そば屋秀月」がやっているか見ていたのだ。とんかつ屋に行けなかったので、迷わず「かつ丼」を頼む。
一松のおじさん、おばさんはインフルエンザにでもかかったのか。それよりも、秀月のおじさんの方が大変である。料理はしているが、伝い歩き。もう随分と前からであるから、いつまでも元気で働いていてほしいと思う。
大崎の南側というのはすぐに山になっていて、食堂への行き来は楽しいほどの運動になる。
達人は芳水小学校の裏手へと上がる。この学校は明電舎の社長が作り、社長の名をとって「芳水小学校」と宇都宮製作所の正友氏に聞いたことがある。
その頃、宇都宮製作所は近隣の小学校に体育館を建てたとのこと。駅の南が明電舎の工場。北側は宇都宮製作所の工場があった時代の話である。
駅の北側にはバイクのメグロの工場があった話は、足尾銅山のマルサンのパン屋のおやじさんから聞いた。確か小林さんといったが、メグロの最初の6人の一人だったとのこと。
細い、行き止まりも当たり前の道を、自分の勘を頼りに、居木神社を目指す。
「ん~、ここは細いから、こっちへ行こう」と行ったのは良いが、山を下りだしてしまった。
神社へ行くにはもう一度登りなおさないといけない。
山だから、御影石などで土台を作り、その上に家を建てている。きっと、明電舎の偉い人や、社員がこの辺りに住んでいたのであろうなどと想像する。
次の角を曲がって登りだす。狭い道だが、車を止めている家もあると思ったら、真ん中あたりで、電柱が現れた。いつもは逆側から見ていたから気が付かなかったのだと思うが、なかなかの電柱である。
まっすぐ行くと無事に神社の裏に出た。
神社の中を抜け、客先を目指す。
神社の階段を下ると2軒の家が目につく。参道が賑やかだった時代に、なにか店をやっていたであろうことを感じさせる好きな建物だ。
なんや、かんやありつつも、無事に午後の仕事も済ませて駅へと向かう。
雪が降るのか、空は白く、月もおぼろであった。
金曜日は、昼は約束の一松ではなかったものの、お客さんと楽しく昼食。そして無事に本番稼働し西浅草に戻ると一気に疲れが出たのであった。
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