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2016年3月25日 (金)

はにゅ~。小田原、鎌倉、浅草の最後に羽生へ

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2016年3月12日、小田原、鎌倉とトロッコを尋ね、西浅草に戻って宿泊。翌朝13日は羽生に寄って帰ることとした。

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朝9時過ぎに西浅草を出て走り出すと意外といい調子で走れる。「よし、昼は羽生にしよう」となる。

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羽生の駅の裏側に行き、なんとなく駐車場を探すと、一回500円ながらほぼ満車。駅の表に向かい駅前へと出ると喫茶店のランチがあるではないか。手前の駐車場が空いていたので、戻って入る。

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一回500円の割には置いている車が多い。はて、羽生の街はそれほど人気なのかと思う。しかし、喫茶店でランチを食べていると判明したのである。「羽生マラソン」の日であった。

大勢の人が歩道を歩き出し、駅や先ほどの駐車場へ向かっていったのである。

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一回500円であるから、'69 ワーゲンはそのまま置いて羽生の街を好きなだけ散策である。

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駐車場の脇の道からして渋かったので、駅を背にしてその道を歩きだす。渋い。渋すぎる。

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少し行くと古い街道のような、美しいS字を描いた道に突き当たった。もう一本先が広い街道のようだが、二本の街道が並行するようなところが妙である。

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一本先の街道へ出ると、やはり歴史を感じさせる通りであった。奥の深い細長い敷地である。残念な事に多くは建てかえられ、また細長い空き地になっていてしまっているが。

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奥が深い空き地の向こうの端に小さなお稲荷さんがあったりする。きっと立派な店なりあったであろうと想像させられる。

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広い街道は歴史があるのであろうが、あまりに変わり果てており、狭い路地を抜けて一本裏道で少し戻る。

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羽生駅北側への踏切へと続く道に右に折れると、昭和の香りが充満した商店街となった。

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ただ営業している店は少ない。一軒だけラーメン屋さんの店頭に数人が待って賑わっていた。

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最初に出た街道のところに来ると大きな倉庫が。農業倉庫なのだろうか。更に次の角に行くと、街の中心部のような角に出た。

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角々の店が大きくて懐かしい。一軒は富士屋食堂。昭和の時代に良くあった食堂の名前ではなかろうか。

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その先は、ちょっと寂しいぐらい店が少なくなり、東武の踏切である。

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踏切の手前は、昔はさぞかし賑わったであろうことを感じさせる神社だが、その手前に奥の深い建物が残っていた。

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東武の踏切を渡った先に、秩父鉄道の踏切があるが、左へ入る路地を見るとそこにも踏切。羽生駅から左カーブをしていくからなのであるが、位置関係が不思議でついついその踏切まで行ってみる。

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その先で日曜だからであろう。子供がお父さんのチラシ配りを手伝ってはしゃいでいる。その辺りで地図を確認すると、右に曲がった正面が東亜酒造であることに気付く。

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突き当たったところを左に折れて酒造を一回りすることとする。二つ角を曲がったところでいい匂いが漂っていた。お酒の匂いである。勿論、日曜で店舗はやっていないことは承知の上での一回りである。

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ぐるりと回って、秩父鉄道を渡り、東武の踏切近くに行って驚いた。左に入った先に昭和30年代、私の子供の頃に見慣れていたような光景が。

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「浅間アイロン」、浅間神社の近くだから「せんげん」と読むのか、「あさま」と読むのか。でも、「あさま神社」と呼ぶところもあるな…。

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道なりに小さな踏切を渡った先は、正に私の子供の頃の景色であった。

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えりこさんも、楽しそうに歩いている。

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突き当たりは、古い商店街である。うなぎ屋もあるから、往時は高級な一角だったかもしれない。

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商店街を抜けると、行きに感じた街の中心的な角に出た。やはり、ここは中心地なのかと思う。

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左に折れると「あま太郎」の看板が眼に入り、「買って行こう」となった。店で「小倉餡と白餡と五個ずつ」といいつつ良く見ると、「おかあさんこれ一個50円だよ!!」である。前橋の甘太郎の半額である。10個買って500円とは人気のはずである。気が付くと、5、6人が後ろで待っていた。

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加須、羽生、行田と中山道や日光街道から外れているのだが、いやいやどうして歴史を感じさせてくれるし、歴史が残っている。

やっぱり歩いてみると良いものである。前日の小田原、鎌倉で訪問した店も良かったが、それ以外は車も人も混雑していて、昭和を楽しむどころではなかったが、穏やかな天気の元、羽生はのんびりと、ゆっくりと昭和を楽しめた。

はにゅ~、いいんじゃないの。

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コメント

こんにちは
たまたまみかけてお邪魔しました
上から六枚目?の月極駐車場の正面の家(左側の一見別の家にみえますがつながってます)と
浅間アイロンの家は同級生のうちです
駐車場のうちのすぐそばが実家でしたが今は壊され駐車場になってます
アイロンの家はつい最近取り壊されてしまいました
羽生に生まれたときから住んでますが写真の一部はどこか分からないです
水道?のとこはどこですかね…
今は羽生のはずれに住んでますが 中心のほう懐かしかったです
いつも車で通りすぎるので今度はゆっくり歩きたくなりました
ありがとうございました

投稿: のんちゃん | 2024年10月17日 (木) 21時14分

のんちゃんさん、見ていただきありがとうございます。
水道のある流し台の写真は、一つ上の写真の関口畳店の近くではないかと思います。
浅間アイロンさんは無くなってしまいましたか。羽生の街も8年の歳月で、随分と変わったのでしょうね。
懐かしんでいただけて、とても嬉しいです。写真を撮っておいて、歩いておいて良かったと思うのでした。

投稿: 信沢あつし | 2024年10月18日 (金) 14時52分

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