2015/10/24 前橋の奥地へ…
公園の中央の木は、緑と茶色が混在する。なんだか不思議な秋である。
近付いて見ると、緑の葉の中、所々に茶色く枯れたかたまりがある。
そんな不思議な、今年の秋の光景を眺めながら、八幡様の裏を抜ける。子供の頃の遊び場だったところである。
国道50号と駅前通りが交差する大きな四角い歩道橋の二辺を歩いて国道50号にでる。
元の大谷歯科の先、材木屋のところで、馬場川沿いに出る。まあ、我が家で言う、「いつものカラタチの道」である。
石屋の所から、隆興寺の参道の建物が見え隠れする。板塀のお宅にはこの時期、ブドウが生っているが、通りがかると萎びたままのブドウがそのまま。手入れがされていないようである。誰も住んでいなくなったのか。
枳殻は、この時分に実を付けるが、枳殻の生垣は綺麗に剪定された後。まだ萎びたような実が残っていても良いかと思ったが、ひとつも見つからなかった。
「確か抜けられたように思うよ」と狭い路地に入り込む。暗くて細い道に、かみさんは日傘をたたむ。
木造の戦後間もないような建物が残る。錆びた一輪車が立てかけられたお宅は、職人さんだったのであろうか。
路地はカギの手に、ジグザクに曲がっていく。二つ目の角のところでたわわに生った南天を見つける。
人の気配のない建物であったが、庭木は手入れをされているから、年寄りが住まなくなってからも身内が時々手入れをしているのかもしれない。
その次の角のところは空き地となり、一本の柿木が残されていた。誰も取らない柿の実は生ったまま熟し、いくつかは地面に落ちてつぶれていた。
なんともいえない溶けるようにして落ちた柿の実の匂い。何匹かのハエが飛び交い、蟻が列を作っていた。
もう行き止まりかと思うと、カギの手の角が現れて、奥へ奥へと入っていく。
少し色付きだしたカエデが日に照らされていた。その向こうはトタン屋根の家。小さい頃の昭和30年代の景色のようであった。
私の家の辺りは、戦後、碁盤の目に整備されてしまったが、この辺りは全く整備されていない。
奥へ奥へとジグザクに続く道はついにブロック塀に囲まれてしまった。向こうの通りまではわずかと思うが。まだ住んでいるお宅もあるが、今の時代、車が出入りできない細い道は不便であろうと思う。ただ、そこにずっと住んでいる人にとっては、大切な我が家なのかとも思う。
主が居なくなった家は、草が伸び放題。ブロック塀の隙間から庭から伸びた蔦が顔を出し、大きく両腕を広げていた。
馬場川通り沿いの家が更地となり、眩しい日を浴びる廃屋。
いわゆる二軒長屋。隣の家の庭には新しそうな椅子がひとつ。おばあちゃんが、日課のように日向ぼっこをしていたのかもしれない。
再び馬場川沿いに出て、中川小手前までいく。日陰で黒い流れとなった川に、小さな橋や配管が架かる。この先が祖母の家であり、小さい頃に見慣れた光景が今も残る。
ここも二軒長屋のような木造平屋が綺麗に並んでいたところであるが、何年か前に更地になった。
その空き地の北側に抜けると、真っ赤な草が生えていた。「ホウキギ」という箒を作る草であった。妙に沢山生えていたが、この辺りで箒でも作っていたのだろうか。小さい頃に、南町の方で、何軒か箒を作って売っている店を見たことがあるが。
その先はイシイパンの通りであるが、イシイパンの店舗はすでになくなっている。
同級生の家の跡地。丹下珠算塾の大きな土蔵と、コンクリートの蔵が建っていた。その奥の木造平屋群も、ほとんどなくなっていた。
たった数年で、こんなに景色が変わるのかとも思うが、世代は変わり、時代は変わっていく。私が、懐かしいと思う景色も、もう大昔のことである。変わっていくのは寂しいが、変わっていくのを見ていくのも人生であると思う。
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