2013年 第7回 よみがえれボールドウィン実行委員会
土曜日は静養して、日曜に備えたものの、夕刻に寝てしまい、深夜に会の準備をする。日曜の午前4時半に寝て、6時半に眼は覚めたが、すぐには起きられない。えりこさんが「お父さん、寝ながら咳をしていたよ」と。
朝食を食べて、トイレへ行くと30分ぐらい座り込んでしまった。「少し遅れる」と電話をして、楽しいイベントだから、行けば元気になるだろうとワーゲンに乗り込む。コンビニで飲み物を買ってコピーをしていこうと思っていたが、八幡様のところのタバコ屋やっていたので、そこに寄って、ドリンクも買ってしまうと。コピーをすっかり忘れてしまった。
家を出たときは曇天だったが、赤城県道に入ると台風23号の影響も無くなったのか、眩しい日差しとなった。ただ、赤城山は真夏のような雲に覆われている。昔の有料道路に入ると、すぐに真っ白な霧に包まれた。しかし、山頂が近付くと、再び日差しが。ところが、再びお腹の具合も。Uターンするように駐車場に入り、トイレに座り込む。
でも、それで随分とスッキリした。再び霧の中を赤城北面を下り日影南郷へ。道路は空いていて、快適なドライブのゴール、根利に入るとまた青空が覗いた。
2年以上かけて、木曽森林鉄道のB型客車というのの修復作業を行っているが、最初はただただ解体を進めるだけだった。もう元に戻せないかもしれないと、誰もが思ったに違いない。
しかし、ダメになった木材を、どうにか地元の協力などを得て入手し、昨年は木製台枠を中心とする腐った部材を新製することが出来、今年はそれを組み立てた。台枠に木造トラス構造を元の車体から移植し、柱が立ち、前回の9月に屋根が載った。
そして、それを披露するために、久しぶりの根利森林鉄道まつりの開催も決まった。
今回は、その骨格に屋根の乗った客車を台車に載せる作業である。長いこと客車が置いてあった所にあった客車用の運材台車を、軽トラで牽いて地面を走らせて移動する。レールの先端の段差部分には木材を置いて、レール代わりにした。客車がなくなり、運材台車がなくなり、15m程の線路が残った。
残された線路も良い雰囲気だった。追々、ここには線路を敷設する計画だ。
線路から下ろした台車を、線路に再び上げる。それも重機など使わず、いつものごとく、人力とジャッキなどの道具でである。それでも皆でやれば何とかなるものである。何人かが、役立ちそうなものを持ち寄り、それを現場で、臨機応変に活用していく。線路に直角に載せる片方が、特に難儀だった。初めは全く、どうして良いか想像も出来なかったが、やって行くうちに誰かがアイデアを出す。
面白いメンバーである。「おい、後ろ危ないぞ!!」、「手出さないで!! 道具使って!!」と怒鳴りあいながらの作業であるが、それで嫌になったり、ケンカをするようなメンバーはいない。もう8年も、こなんことをしているのだから、意外なほどに無駄はない。素晴らしいチームワークで、2台の台車は、ほぼ予定通りの時間で線路に載ったのだった。
そこで、ちょっと遅い昼食と休憩。10月20日用のスタッフ用のジャンパーも出来てきた。とりあえず、皆で着て記念撮影をしてみたりする。「ボールドウィンの前に並ぼう!!」、「皆、背中向けて!!」、「腕組んだ方がカッコイイよ」などと子供のようである。写真を撮れば、背中向きの写真なのに「目をつぶっちゃった!!」と二人ぐらいが言ってはしゃぐ。
午後の作業は、B型客車を持ち上げて、台車を下に滑り込ませる作業。8m弱、大型バス並みの木造車体は、かなりの重量である。慎重に作業は進められた。勿論、いつも誰かが怒鳴っている。14時頃から作業を始め、ほぼ1時間。15時に二つの運材台車が客車の下に納まった。
傍から見たらケンカのようなやりとりも、それこそ本当の仕事である。誰もが良い仕事をしようとするから、ケンカのようになるのである。
久しぶりにB型客車が台車に載った。かなりの部分が新調した部材ではあるが、ばらばらで、どうにもならないと思っていたものが、再び鉄道車両として、よみがえった。
さて、次回は根利森林鉄道まつりの準備である。車両の配置を変えて、ホイットカムが走れるように線路を仮設する。仮の線路を置いて、何トンもある車両を移動する作業。線路の上を車両たちが走る作業である。鉄道趣味らしい一日になるだろう。
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