大新のおばちゃんが亡くなった。
気持ち良く、路面電車のレールの写真を撮って昼食に向かったのは、いつもの大新だった。今年は月に一度くらいに行っていて、「ちょっと行きすぎか」とも思ったが。
大新は、戸は開いていたが、暖簾が中にかかっていた。それを、えりこさんが指摘して「どうしたんだろう」と言う。「どっちかが出かけているんじゃない。そのうち帰ってくるんじゃない」などと話をして、様子を見に行ってもらう。私は、ビートルの窓を閉めて降りる準備。
すると、えりこさんが店から手を振る。
「やっぱり、やってくれるんだ」と思い、近付いて行くと、「おばさんが亡くなったんだって」とのこと。
「お線香を上げてってくれって」
先月も来たばかりなのに。おじさんよりも元気にしていたのに。
先月の25日は普通に営業をして、26日も朝ウォーキングに出て、「かぼちゃでも食べようか」ってところで倒れたのだそうだ。群大に2日ほど入院して亡くなったのだそうだ。75歳「お寺では76歳っていうんだけどね」だったそうだ。
先月来た時に、前橋駅の南に家を買うような話をしていたが、しばらくはそこから店に通い、80歳になったら店を閉めてそこに住むことになっていたとのこと。
「おばあちゃんが居なくなったから、もうお店やっていけないね。」
向こうの家に住んだら、この店は手放すのだろう。
私がこんな前橋歩きを始めたのは、5年ほど前。夏の暑い日、前橋の七夕の日に、前橋公園の裏まで歩いてきて、ビールを飲める食堂を探していた時だった。広瀬川を渡って行くと、暖簾を出して戸を開けっ放しのラーメン屋が目に入った。
「ここなら、餃子でビールでいける」と、暖簾をくぐると、おやじさんは座敷で寝転んで高校野球を観ていた。
「ばあさんが七夕に買物に出ているから」といいつつも、餃子を焼いてビールを出してくれた。
「前商は勝ったんですか」などと話を始めてしばらくすると、戦後間もない頃、堀川町で仕事をもらって仕事をしたことがあると、言い出した。どうも、話の感じは、私の親戚の信沢左官屋の辺りだった。
元々は増田から出てきた話などで盛り上がり、二本目のビールを飲みだしたところで、おばあさんが帰って来た。
帰ってくると、すぐに中に入り、何か料理を始めた。しばらくおじいさんと話をしていると、「はいよ」と、野菜炒めがでてきた。
「おじいさんの相手をしてくれてたからね」
「じゃ、もう一本飲まなくちゃ」
これが始まりだった。
最近は、夫婦で行くが、野菜炒めを注文するといつも「二人分」と大盛りにしてくれた。「野菜炒めは簡単だからね」とも言っていた。
おじいさんは、「一週間は何か食べるけど、味も何もしなかったね」と、やっと落ち着いてきたと話してくれた。
暖簾は仕舞ったが、「誰かが立ち寄ってくれるだろう」と戸を空けて、居るんだろう。
「おじさんは、おばさんの分も長生きしてよ」などと言って店を出た。
周りの写真を撮っていると、中から「チン、チン」と音が聞こえた。私達のことをおばあさんへ報告したのだろうか。
人間だから、歳を取ったら死んでいってしまうのだが、折角仲が良くなったのに、とても元気そうだったのに。
最近の私は、とてもおばちゃんに気に入ってもらっていた。私が絵を描いてデザインしたTシャツを見せてからだ。
「こんな能力がある人が、もったいないね」と会うたびに言う。
「でも、これは趣味だから」と私も、そのたびに言う。
ああ、残念だ。でも、それが人生なんだし…。
なんとなく、大新へ寄っただけだったが、もしかするとおばあさんが呼んだのかもしれない。
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