前橋、堀川町から諏訪町まで
昨日は、新一年生の会とかで、午後は閉めたらしい。といっても、本町二丁目で4人だけだったらしい。
ウスナミのおばちゃんは、元気で、おじさんは椅子に座ってウトウトととしていた。
昨晩は、「ウスナミさんは、どうしただろう」などと考えていたら、子供の頃の古い洋風の洒落たバーバー・ウスナミを思い出した。今の建物は、昭和40年代に区画整理もあって建て替えたもの。
そして、小学校時代を思い出し、「ケール・ヤーボロー」という名前を思い出した。NASCARの有名なレーサーであるが、私のイメージするのは、白いボディで、ルーフ部分が赤のカーナンバー21のマーキュリーである。
カーナンバーは、シルバーのメタリックで描かれいかにもアメリカ的であった。そして、ケール・ヤーボローは1968年、1969年と、名場面を生んだ。
私の小学生時代は、戦後の配給材の家々が沢山残っていた。簡単な板塀、そして意味不明に狭い路地。焼け跡は区画整理されたものの、戦後のごたごたの中で、勝手に家が建っていった感じもする。
狭い路地は、子供たちにとって絶好の遊び場、探検の場であった。
昼を食べに夫婦で出て、空襲で焼け残ったお宅の梅を見ていく。
午前中は、穏やかで暖かだったから、ちょっと遠くまで散策しようと思っていたが、午後になると風が出て、太陽を隠すように雲が流れ、随分と寒くなっていた。
それでも、太陽さえ出れば暖かいので、昔の諏訪町。今の城東町の「来々軒 第二支店」まで行く。
中央前橋駅まで行き、そこからは路地に入り、重兵衛湯の煙突を目指せばよい。
ところが、重兵衛湯の通りに出ると、どうも、のれんが出ていないように見える。少し近付き確認をして、すぐに立川町通りの方へと足を向ける。
結局、随分と戻って、焼きそばの「橋本屋」へ。焼きそば、もつ煮込み、煮込みおでんとビール。1,550円。いつものフルコースである。
昔の、ウスナミさんの並びには、ガラス屋と豆腐屋が並んでいたのを思い出す。
お鍋を持たされ買いに行く。豆腐屋のタイルのお風呂のような水槽に、何度手を入れて遊ぼうと思ったことか。そして、大きな豆腐の塊を、店のおやじさんや、おばさんが切って行く。あんな切り方で、みんな同じ大きさになるのか。端の方は小さくなったり、大きくなったりしないのか、じっと見つめていた記憶がある。
ある時、じっと見ていたら、「ここは小さくなったから、おまけしてあげるね」などと言われた記憶がある。子供がじっと見つめているのは、大人にとっては辛いものであったに違いない。
ウスナミさんが昨日の午後、休んでくれたお陰でもある。子供の頃のことを思い出させてもらえた。
| 固定リンク
「前橋」カテゴリの記事
- 2019/10/18 昨晩の話し(2019.10.18)
- 2019/10/16 今朝は馬場川沿いを歩いてきた。(2019.10.16)
- 2019/10/13 台風19号一過、古レールを使った聖牛が濁流に立ち向かった(2019.10.15)
- 2019/10/13 台風19号一過、浸水した親水公園(2019.10.15)
- 2019/10/13 台風19号一過、夜が明けた中、前橋公園へと(2019.10.15)




コメント