何か変わってきた気がする前橋市街地
材木屋だったのか、よく覚えていないが、すっかり人の住んでいる気配がなくなってしまった。
自称「平成の朔太郎」の私の写真は、本家萩原朔太郎のような賑やかな写真はない。全く正反対。
前橋駅前通りも、私が撮れば(!?)この通りの殺風景。空き地の向こうに、ポツリ、ポツリと古い家が残る。
国道50号だって、この通り。道路は立派で綺麗たが、その両脇は、寂しい限りである。
三河町も空き地が目立つが、元々人は住んで居になったのかも知れない。やっと、ここに来て解体し、整地されたのか。
本当に賑やかで、華やかだった前橋を知る人は、殆ど居なくなってしまったのかも知れない。
なんか、いろいろなものがゼロに戻った気がする。もしかすると、これからここは、何かが始まるのかと期待する。
写真を撮って行き着いたところは、「青井食堂」。そこで、「ときわ食堂」がなくなった話。「アクツって店の焼きそばが、癖になる味でさ」という話。さなかではないが、焼きそば屋の「橋本屋」が、そろそろ店を仕舞おうとしているとかの話。
「いかわさにしなよ。」
と出てきたら、こんなに沢山。つまみが余るから、ついついビールを頼んでしまう。
気が付けば、母親のような年の女性にビールをご馳走になっていた。
空襲で、お姉さんの背中におんぶして、とにかく北へ逃げたらしい。中心部ではなく、北へとのことだったとか。お姉さんは、何かを飛び越していくので聞いてみると、沢山の人が横たわっているのだと。いくら死んでいる人であっても、踏み潰すわけには行かないから、飛び越していたのだと。
「しばらく行くと、泪橋ってところに出たんだよ。」
そこから更に、お花茶屋、亀有と逃げ、青砥に疎開した。稲荷町の家は焼け、土地もなくなったらしい。
さっきまで偉そうなことを言っていた、おばちゃんだったが、空襲の話は、小さな娘の話のようだった。
前橋に来たのは、昭和35年。お嫁で来たのだろうが、本当の賑やかな前橋を知らない世代でもある。だんだん、年よりも世代交代してきたのを感じる。
お年寄りは元気である。タクシーを呼んで、カラオケへと出かけていった。私は、一人で家路に着く。人はまばら、ロッテリアは完全に解体されていた。
そんな寂しい前橋市の市街地たが、どうもお年寄りは、賑やかに楽しんでいるようだ。あと10年、あと数年…。そんなお年寄り達が、前橋の街を少しばかり盛り立ててくれるような気がした。
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