古いものと、新しいもの。今週の信沢あつし
前橋の石倉には銭湯の煙突が残り、利根橋沿いには古い家も少々残る。今の両毛線が開通するまでは、この石倉町に「前橋駅」があった。その名残だと思っているが、それもわずかになってきた。
火曜の朝、高崎を発車すると、旧上信電鉄カラーに塗られた電車が。1、2ヶ月前に、そんなのを見た気がしていたが、やはり昔の色に塗り替えられていた。私にとってはとても懐かしい上信の電車である。
北区には日本軍がいて、軍用の引込線がいくつもあったらしいが、今はそのひとつが、工場の引込線となって残っている。貨物列車は、王子を午前10時頃に通過するから、朝の特急あかぎに乗っていると、殆どといってよいほど、擦れ違う。
十思公園の近くから見た東京スカイツリー。公園の隣には、昭和3年築の旧十思小学校が残る。会社の近くでは、比較的好きな場所である。
水曜日の昼は、東日本橋の「三好弥」まで行った。看板に書かれた「とんかつ」の文字が洋食屋を主張していて良い。
昨日、一昨日と、前橋の麻屋デパートのことを書いたが、前橋だけではなく、全国どこでも同じことが繰り返されている気がする。
恐らく、今の世の中は、過去の歴史や、文化の上に築かれていることを、言葉では理解しても、誰も実感していないのではないか。
恐らく、戦後の高度成長期に「家付き、カー付き、ババア抜き」と言ったときから、日本人は先陣から学ぶことを捨てたのだと思う。家族からも学ぶことをやめたのだから。
そんな高度成長期の彼らは、後輩達へ何かを伝えることもしない。学ぶことのなかった人間であるから、教えることを知らないのだと思う。
大正時代に造られた福島県の「熱塩駅」。ここの観光客から、「懐かしいね」という言葉を何度も聴いたが、そこにはリアリティは感じ取れなかった。
言葉は知っているし、意味も言葉として理解しているが、きっとそこには実感がない。先輩達から、何かを学ぼうとしたら、そこにはどれくらいの時間が掛かるのか、どれくらいの努力が必要なのか、実感している人は数少ないのだと思う。
「業平橋駅」を、「東京スカイツリー駅」にする。そこにも同じことが起きている気がする。
押上の商店街周辺は、まるで変わる気配がない。そのまま変わらないでいて欲しいし、その変わらないところを、観光で来た皆さんにも見てもらって、感じて欲しい。
「戦後のバラックがみすぼらしい」
しかし、残っているとすれば、今や大変貴重な文化財といえるのではないだろうか。高齢者が住み、亡くなっていくと壊されていく運命。終戦直後の日本を語り継ぐものとして、そんなものほど残して欲しいと思う。
「大衆車ほど残らない」
そんな言葉を、30年ぐらい前の雑誌で読んだ。博物館には、有名な高級車は沢山残っているが、大昔のカローラや、サニーは飾られない。でも、日本の自動車史を語るには、一番重要な車種に思う。
まあ、そんなことを書いて、今夜の憂さ晴らしとしよう。
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