前橋のゑびすと橋本屋へ
結婚してから、私は殆ど東京生活。かみさんとは擦れ違いも少なくなかったが、これから、私の休みには、かみさんは休みである。私としては、とても嬉しいことではある。
先週の土曜日に、夫婦で早速行ったのは、食堂の「ゑびす」。珍しく、3名ほどのお客さんがいて、おばちゃんは閉店ムード。私は、残っていたフライの4つを頂いてビール。かみさんは、ソースカツ丼を頼む。
土曜日は、娘さんの手伝いもないのに、少々忙しかったらしい。ソースカツ丼のカツは、ちょっと焦げてしまったようだし、持ち帰りで頼んだ、ハムカツとコロッケも、完全に忘れていた。その話をすると、「あぁ、そうだね」と揚げてくれたのだが、数を間違えてしまった。
でも、カツ丼は、なぜか美味しかった。かみさんも初めて食べた、ゑびすのソースカツ丼に感激していた。色は、すごく黒かったが、味は殆ど変わらない。きっと使っているソースのせいではないか。
土曜日も暑かったが、翌日の日曜日も暑くなった。私は体調を崩し、午前中は寝てしまい、午後になってから、二日連続でお昼を食べに出た。
前橋中央通りアーケードが近付くと、太鼓の音が聞こえてきた。二人して、前橋まつりのお囃子の練習が始まったのではないかと話しにながら行く。アーケードに入ると音は明確になり、「ちんどん屋だ」とお互いに気づく。
アマチュアのチンドン屋だと思うが、楽しそうにやっている。でも、アーケードを歩く人は数人。暑さも手伝い、閑散としている。
そして行ったのが、やきそばの「橋本屋」。「煮込みおでん200円」というものが、私の子供の頃の「おでん」そのものなのである。期待して待ったが、さつま揚げは味が染込みきっておらず、イマイチ。でも、こんにゃくは茶色く染まって、あの当時の味わいになっていた。
そのほかに、私は、もつ煮込みとビール。かみさんは「やきそば350円」を頼む。私にとっては、とても懐かしい味と食感の「やきそば」であったが、かみさんはイマイチである。
「もしかすると、昔の焼きそばは、こんなんだったかも」と言う程度。
それにしても、店内は懐かしい空気が充満していて、その点では二人とも大満足。店においてあった、チラシを眺めて、前橋の今を知ったり、やっと二人して、前橋市民に戻ったような感じだった。
橋本屋を出ると、二人して元西武のところの「フレッセイ」へと向かう。西武の閉店後は、前橋市の「元気21」とかになって、その地下に、地元のスーパー「フレッセイ」が入ったが、やはり店内の客は少ない。時間帯も悪いが、客よりもレジのおばちゃんの方が多いのではないかと思うほど。
そんなことはともかく、夫婦で昼食をして、買い物を一緒にして帰る。今まであまりなかった行動に、私は満足感を得ていたのであった。
そして、八幡様の脇を通って、かみさんが
「ハトが全部止まっている。時間が止まっているみたい」などと言い出す。
見れば、ハトは木陰にいて、そこにうずくまり、じっとしていた。不思議な光景だったが、それだけハトたちにとっても暑かったのであろう。
私も一人で歩いて、いろいろと面白い光景を見てきたが、二人でいると、お互いの視点が違う。私が、見過ごしたところを、かみさんが見ていたりする。二人が出合った頃、どこかへ旅行に出かけると、いつもそんな感じだった。その感覚が、20年以上を経てよみがえった。
大したことはしていない。ふたりで、地元の食堂に出かけ、帰りにスーパーで買い物をしてきただけではある。それでも、私は、とても幸せな気持ちになっていた。
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コメント
感慨深いです。ちょっと寂しいですね。
私が始めて前橋を訪問したときは、確か「関東甲信越小さな旅」で紹介された直後、西武デパートが健在でアーケードは人で溢れておりました。アーケードで買った焼き鮎が美味かったです。そんな情景、わずか20年ちょっと前のことと思います。その後西武は閉鎖、その後駅前のヨーカドーが「前橋の中心はココだよ」と胸を張っているようにそびえてがんばっておりました。
そのヨーカドーも閉鎖ですか・・・。
休日の昼、奥様との昼食、時間の張針が30年くらい戻ったような一時だったのではないかとお察しします。何故でしょうか、私にとって縁もゆかりも無い町街なのに、あつしさんの文を読んでいるとなぜか懐かしく感じました。
とうとうと澄んだ水の流れる広瀬川の畔を、焼きまんじゅう食いながら、敷島公園目指してのんびり歩きたいナァ。あの頃に戻って。
投稿: GP7500 | 2010年8月25日 (水) 22時32分
前橋だけではなくて、どこの町も大同小異ではないでしょうか。
私は、地方都市の鉄道が貨物を扱わなくなった。扱えなくなったのが大きいと思っています。
旅客で採算が取れるのは、都心部と東海道新幹線ぐらい。
それを凄いこと、偉いことと思って、地方で旅客に専念するのは、大いなるナンセンスと。
地方は、地方の特徴、特色、それなりのやりかたってのがあると思うのです。
貨物がなくなったのは、別に鉄道会社が悪かったわけではありません。
工業団地を、誰もいない、公共交通機関のない郊外にもっていったところに大きな問題があったかと思います。
後追いでも、公共交通機関の充実を図れば、少しはましだったかもしれませんが…。
結局、殆どの人が、マイカーというカタカナの洒落た表現に感じられる乗り物で通勤をするようになったのです。
クルマの普及は、人々を拡散させてしまいました。
中心のない、効率の悪い社会にしていきました。
今は、工場から排出される、煤煙や汚水が問題になることは少なくなりました。
地方都市の駅の近くは、空き地も目出っています。
ゲームのシムシティではないですが、
「工業地域」と「商業地域」と「住宅地域」が、効率良く接しているのが良いのです。
前橋駅近くの、ショッピングモール。もうすぐにでも止めたい気配が漂っています。
以前のように工場にしても良いと私は思います。
サッポロ一番を、駅の南に持ってきても良いのでは。
私の普段の生活は、ほとんどが徒歩か、公共交通機関です。
地方都市、前橋でも、そのような方向にもっていけないでしょうか。
それには、たばこを買うにも、缶コーヒーを一本買うにも、近所のコンビにまで、
クルマを走らせる住民の意識を帰る必要もあると思いますが。
東京だったら、当たり前に歩く距離も、
前橋などの群馬では、当たり前にクルマを使う。
なんで、そんなことになってしまったのか。
もっと健全な、地域経営を出来なかったのか。
おっと、GPさんの書き込みとは、全然違う、700mぐらい深いところまで行ってしまいました。
失礼しました。…酔っ払っています。
投稿: あつし | 2010年8月25日 (水) 22時54分