前橋から、イトーヨーカドーがなくなった…。
今朝、前橋駅のホームで、交換で入ってくる115系をファインダー越しに見て、看板が白いのに気が付いた。新盆で義兄のところへ行って「3日間売り尽くし」などという広告を見ていたが。きっと私が東京にいる間に、看板は白くなったのだと思う。
ちよっと感傷的になっている私の前に、突然現れた二人。「何者か?」
「ん、鉄子か!?」
どうもそうらしい。ヘッドマークを付けた115系を楽しそうに撮影して、今度は横から撮って、お互いにデジカメの画像を見せ合い、笑いあっている。
余程声を掛けて、今月から私の連載が始まった「とれいん」を見せびらかそうと思ったが、きっと話すとながくなる。おやじというのは、そういうものである。それに、特急の発車の時刻もある。
さっさとジュースを買って185系電車に乗り込んだ。
しかし、横っ腹に大きな白い文字。どうも国鉄時代の「順法闘争」の映像が重なる。
電車が発車するとイトーヨーカドーの横っ腹が見えてきた。壁面のイトーヨーカドーの文字も外されたが、影のように「Ito Yokado」と残っている。
オープンした頃、沢山のクルマがやって来て、駐車場は満車だから、付近の道路にクルマがあふれていた。「やっかいなものが出来たものだ」と思ったのが事実である。ところが、いつの間にか混雑はなくなり、地元の人たちにとって、特に高齢者にとって、大切なものになっていた。
不思議なものである。
電車に乗って、駅に着いても、高いビルが全く見えない。県庁所在地らしからぬ町、前橋。だから、駅前だといっても、客は、たかが知れている。そんな前橋に20年かけて、やっと馴染んだ「イトーヨーカドー前橋店」。
今度は、前橋から追い出されるように、看板を下げた。それは、23年前は地元商店街にとって、猛威だったに違いない。しかし、高齢化が進み、過疎化が進んだ、前橋という町にとっては、元々の商店街も、駅前のイトーヨーカドーもなくてはならない存在になっていた。
それなのに。イトーヨーカドーを追い出してしまった前橋は、何もなくなった前橋駅前をどうしようとしているのか。
いずれにせよ、定着するには数年が掛かるはず。町の大きな建物の跡地の多くは公的なものとなっている。ここもそうしたいのか。
巨大な民間企業が努力して、なんとかやって来た駅前での商売。公的機関が、それ以上に上手に商売を出来るはずはないと思うのだが…。そんなことだけは避けて欲しい。
イトーヨーカドー前橋店は、前橋の町のために、良く頑張ってくれたと思う。ご苦労さん。いろいろとありがとう。
| 固定リンク
「前橋」カテゴリの記事
- 2019/10/18 昨晩の話し(2019.10.18)
- 2019/10/16 今朝は馬場川沿いを歩いてきた。(2019.10.16)
- 2019/10/13 台風19号一過、古レールを使った聖牛が濁流に立ち向かった(2019.10.15)
- 2019/10/13 台風19号一過、浸水した親水公園(2019.10.15)
- 2019/10/13 台風19号一過、夜が明けた中、前橋公園へと(2019.10.15)
「115系電車」カテゴリの記事
- 「思い出のローカル線」再スタート(2019.11.13)
- 2014/11/2 藤澤石材店「トロッコさよなら運転」(2014.11.03)
- 前橋原風景鉄道写真展 Vol.02(2014.03.29)
- 115系のパラダイス!?(2013.01.23)
- 11月1日 高崎線の車窓から!!(2011.11.12)



コメント