夢のようだったトロッコは存在していた…。
8月の上旬だっただろう。二階の梁からコンクリートの土台に転落し180日間絶対安静だった父親が、リハビリを始めて半年ほど経ったときだ。
買って2年ほど経った1966年式のフォルクスワーゲンのキャンパーで両親と共に熱塩に行ったのだった。私が中学の頃、家族旅行で行った地だったから。
あの時も、青空が出たかと思うと、どんよりとした雲が覆い雨が降った。登り窯にキャンパーで着いたときには青空だった。今回も雨に降られたりしながらも、次男と共に到着すると、青空が広がり始め、緑が輝いた。
既に訪れたことのある地ではあるが、両親を案内しようとすると、中でトロッコが動いていた。私は案内そっちのけで登り窯に近づいた。トロッコのレールは、登り窯のある上屋から少し表に出て90度でカーブしていた絵柄が、今は頭に浮かぶ。
線路の上には平たいトロッコがいて、その上に薪を抱えたおやじさんが、足でブレーキを効かせながら窯にくべていく。もう、驚きの光景だった。こんなところでトロッコを使っているとは。
まるで夢のような光景だった。そして、10数年が経て時々思い出したりもするが、「それは本当に夢だったのか」と思うようになっていた。
4月に喜多方を訪れたとき、そのことを思い出したが、トロッコを見た記憶はあの時の一回だけであり、考えれば、考えるほど、夢の様に思えてきた。
そして、今回。平成22年の6月5日に20年振りぐらいで訪れたのである。次男坊と2台のビートルを止めると、すぐにトロッコがあった辺りを覗いてみた。登り窯の脇は階段状になり、線路は敷けない状態だった。しかし、そこから上の方へ歩いて行くと、コンベアやドラム缶の置かれたところに線路が残っていた。
「あれは、やはり夢じゃなかったんだ」
ここ数年の頭の中のもやもやが、クリアーになった感じだった。登り窯を下ると、道路の向うに水田が広がり、暗い雲の脇からまぶしい陽射しが差し、昔の分校を照らしていた。分校の脇を行くと、あの時は家族6人でここを歩いたことを思い出した。
余談ではあるが、あの時は、父親も元気になって仕事への復帰も出来そうだった。しかし、結局はこの怪我が引きがねとなり、最終的には寝たきりに近い状態となり、今は自宅の隣の墓地で眠っている。
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