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2010年5月 7日 (金)

昭和の子供に戻った田浦銀座

P5050708_taura_ekimae 途中で友人と落ち合い、午前中に田浦駅に着いて、黙々と海側の線路跡を歩くと、喉も渇き、お腹も空いてきた。

P5050714_taura_suzujiya 田浦駅へと戻り、跨線橋を渡り山側へと行く。駅前は広々としたロータリーで昭和初期を思わせる。昔は沢山のバスが発着していたに違いない。

昨年寄った駅前の「鈴木家」は、やはり閉まっていた。国道へ出れば、何かあるはずである。

P5050721_mukasino_kaido 国道16号は山と山に挟まれて、駅のところだけトンネルから表に出ている。その狭いところに数軒ある。旅館の看板などもあるが、どこもやっていない。

P5050724_taura_tunnel トンネルの向こう側には「確か店があった」と私が言い、狭い歩道を歩き出すと、トンネルの入口に古そうな細い道が山に向かって伸びていた。写真を撮っていると、空の寿司桶をいくつか積んだ出前のバイクがやって来て、トンネルに入っていく。

「少なくも、寿司屋があるね。」「やってるね。」

P5050735_taurano_syotengai トンネルを抜けると、郵便局やガソリンスタンド、向こうの方には数件の商店が見える。横須賀線のガードとの中ほどの信号まで行くと右手に「お好み焼き」の文字。暖簾も出ている。

「ここでいいね。」と顔を見合わせるように信号を渡ると、信号から山側へ古い商店街が延びていた。

P5050739_kaeru_de_gansu もう、喉は渇き、腹は空き、すがるように入った店は、広島風お好み焼きの「かえる」という店だった。店に入って座敷に座った途端に汗が噴出してくる。歩いているうちは気にならなかったが、随分と暑い中を歩いていたのだ。

「まずはビールを軽く行きますか」と生を二杯頼み、「ぶちうまキャベツ」と「広島直送 かえる DE がんす」を頼む。

一杯目のビールは、お腹のどこに入ったのかも分からないほど、簡単に身体に染み込んでいってしまった。仕方なしにもう一杯頼む。

ママさんの旦那さんは自衛隊だとかで、元々は呉にいたらしい。田浦へ来て13年ほどという。「がんす」というのも、向こうの食べ物で、呉から送ってもらっているとか。ハムカツのような口当たり、味はさつま揚げとでも云おうか。なかなか美味い。広島風お好み焼きを半分ずつ食べて店をでる。

P5050754_sankaku 気になるのは、信号の正面に伸びている商店街である。山に挟まれたところに川を挟むように狭い道が伸び、その道沿いに家々が山に向かって続いている。

P5050759_byouin 川に挟まれた三角の不動産屋、その先には昔のおもちゃ屋。日に焼けて色あせたおもちゃの箱が並んでいるのが、昔のイメージなのである。右手には和菓子屋、そして左手に洒落た洋館。病院であった。

P5050765_taura_ginza 「なんだか前橋みたいだ」と口から出る。昔の前橋の商店街のような感じだ。もしかするとここも前橋と同じ、戦後の町かも知れないと思う。米軍が進駐したのも前橋と同じである。

P5050773_taura_igarisyokudo 通りの中ほどまで歩いてくると、食堂があるではないか。

「ここで食べたかったですね」と友人。

「一回りして、ここで軽くつまんで、飲みますか」と私。

P5050777_bike 暖簾は出ているし、店の裏口からおばちゃんも覗いている。

通りの突き当りまで行くと、友人が「銭湯がありませんね。」と言い出す。そういえば、「煙突があるから、あそこまで行ってみよう」などといった気がする。

P5050827_kokodemo_ippai 突き当りを左折して橋を渡りながら煙突の位置を確認し、川向こうの道で戻りながら煙突の在り処を探す。再び橋を渡り元の道に戻ってみると、銭湯は閉まっていた。

「いがり食堂」へと戻り中へ入って声を掛けてもおばちゃんの返事がない。厨房の方へいき声を掛けたりもしたのだが、表から裏口の方も覗いた見たが姿はない。どこかへ買い物にでも出たのだろうか。たまたま向かいの店の人が表に出ていたものだから、声を掛けると、「家にいるかな」と、小走りにおばちゃんを呼びにいってくれた。

P5050831_igarisyokudo お昼は食べたばかりだが、真夏のような暑さで、ビールだったら、どんどん飲める。山に挟まれた川沿いの町だから風の通りが良いのであろう。店にいると涼しくて心地よかった。

P5050846_taura_igarisyokudo 食堂の隣にも和菓子屋があり、友人はここで土産を買う。店先の本物の様な犬のおもちゃのことをきっかけに話をする。ここは「昔は田浦銀座といって賑やかだった」とのこと。この町並みを見れば、繁栄振りも伺える。

P5050849_taura_ginza_noren 歩き出して間もなく、今度は友人は駄菓子屋で買い食いである。昭和の町にやって来たら、自分たちまで昭和の頃の子供に戻ってしまっていた。

線路が残っているから興味を持ってやって来た田浦だったが、軍港に興味を持ち、そして田浦の町自体にも興味が湧いてきてしまった。

「今度来たら、ここで昼飯を食べましょう」

友人は、また田浦に来るつもりでいるらしい。朝から夕刻まで、とにかく歩いたものの、田浦という町は、私たちを本当に楽しませたくれた。

駅に戻ってくると、余韻を楽しむ暇もなく電車が来て田浦をあとにする。友人は電車に乗り込むと土産で買ったお菓子を開け、私に二つ手渡すと、袋を開けて食べていた。家に帰るのが待ちきれない子供のようであった。

まだ明るかったから、私は逗子で降り線路を辿ることとし、友人と別れて逗子駅の跨線橋へと向かって歩き出す。それは夕刻が近付いても遊び足りない子供のと同じであった。

5月5日、子供の日であった。

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