人形町へ急げ!
会社に戻りながら、「そういえば人形町の1966年モデルの1300はどうしただろう」と思い出した。確か、1966年で1300だったと思うが…。
会社は数年前まで人形町にあったらしく、以前は時折、人形町の飲み屋に出掛けた。暗くなってから行き、酔っ払って歩くだけだから、よく分からない。
1966年と記憶するビートルもいつも埃にまみれていたのは知っているが、明るい時に見たことはない。「昼休みにちょっと確かめてこよう。」
12時を少し回ったぐらいに会社を出て、真っ直ぐに急ぎ足で人形町へ向かう。行くのは良いが、どこかで昼食を食べなくてはいけないから。
浅草線の人形町を過ぎ、慌てて信号を渡ると、私はビートルのことを忘れそうになっていた。それほど明るい時に見る人形町界隈は古い街が残っていたのだ。
ビートルの埃は以前見た時よりも少なかった。時折乗っているようである。近付けば、艶やかな塗装、そしてナンバープレートも新しかった。夜見た時は、埃が積もり「もしかすると、乗っていないのではないか」と感じたが、ある面、一安心である。
古い建物が目に入るとそちらに曲がり、人形町界隈をジグザグに歩いて、元来た方向へ行く。途中で昼食と考えていたが、すぐに諦め「吉野家でいいや」となっていた。
それにしても、こんな身近に魅力的な街があったとは。よそ者が通るには気が引けるような細い路地もある。
最近、ランチは岩本町寄りに行っている。小伝馬町や人形町と比べると、ビジネスマンが少ないからである。私にとって雰囲気のある店が少なくなく、料金も安くて空いているからである。
庶民的という感じだろうか。人形町は、古い街だがちょっと違う。高級というか、品が良い。だから、古い建物も残っている利だろう。
本日の仕事帰り、馬喰町の方の古い雑居ビルが、シートで覆われていた。もしかすると解体するのか…。細い路地を挟んで、神田川の方まで、ずっと古いビルが連なるような感じになっていたが、所々で新しいビルになっていっている。
「人形町は古いね~」と、のん気なことは云っていられないのではないか。
いつまでもあると思うな古い家。
人形町へ急げ!
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