箕郷町、いや「箕輪町」へ
5、6年前、いやもう少し前だったか、仕事で2度ほどこの町中を走り抜けた。その時に、「まだこんなところが残っているのか」と驚いた。
前橋から行って、西明屋の交差点を左折し、駐車場を探す。とりあえず車を入れたのは商工会の駐車場。「関係者以外駐車禁止」と何箇所かに書かれていて、別のところを探そうとすると、背後は立派な酒造だった。「竹腰酒造店」は、既に廃業して何年も経っているようだ。
駐車場を探していると町の外れまで行ってしまったが、そこにはもう一件の酒造があった。こちらは塀に「日本酒 岩戸川 醸造元」と書かれている。
「ひな人形 展示中」とある。もしかすると、真壁町の西岡醸造と同じく、廃業し、今は展示だけしているのだろうか。入口まで行ってみると、やはり、店はひな人形だらけになっていた。
「時々、間違って、お酒を買いに来る人もいるんですよ。看板も残っているし」
そんな話を聞いていたら、脇の障子を開けて、おやじさんが登場した。
今は役場のところに下田邸が保存されている。最終的には下田家は町に安く敷地を売り渡したとのこと。その下田邸の敷地内には醸造所もあり、お酒を造っていたという。しかし、明治4年に全てを腐らせてしまった。醗酵と腐敗は紙一重なのか。
酒造りを止めることになったらしいが、それを聞きつけた高崎市の商店主が、蔵を借りにやって来た。隅から隅まで消毒して、明治6年の秋に酒造りを始め、明治7年のはじめにお酒が出来上がった。
それはとても美味しい酒だったという。そして、下田家で使っていた「岩戸川」の銘柄も引き継ぐこととなったのだそうだ。
明治10年に蔵を移築し、今の場所で酒造りを始めたのだそうだ。
私が「写真を撮りたいのだが、表から蔵は見えますか」と聞くと、おやじさんはしぶしぶと木戸を開けて案内してくれた。トタンで囲まれたのが、今も残る明治期の蔵だそうだ。
「こっちだよ」と言う声についていくと、空地の向うに酒を絞る機械「舟」が入った屋根があった。立派なものが2基据え付けられている。
「ここに一番古い蔵があったんだよ。焼けちゃったけどね」
おやじさんの説明が済んで、日向に咲いている梅に気付く。昨日今日で、急に暖かくなったので、一気に咲き始めたようだ。
裏手に残る小さいながらも立派な蔵は、お稲荷さんだった。随分としっかりとした作りだ。格子の開け閉めも木製とは思えない構造。明治10年に酒造を始めた時の勢いを感じさせる。
酒造があるところは「四ツ谷」といい、元々高崎だったという話だ。すぐそこのお寺の先からが箕輪町となっていたようだ。
伊香保への街道だったらしいから、狭い道に町屋造りが続いていて、道路の拡幅も難しかったのだろう。今でも古い街道の風情を楽しむことが出来る。しかし、交通量は多いが。
帰りは、竹腰酒造所の裏の道を行く。ずっと先まで、街道に抜ける道がないのも街道筋の町らしい。そして、時折、酒造の煉瓦煙突が顔を出す。
街道筋の古い家並みの裏側には、新しい住宅が立ち並ぶ。車があれば、高崎市街も、前橋市街も遠くない。車さえ運転できれば住みやすいところかも知れない。新しい住民も増えてきたと思うが、出来るだけ長く、この狭い道と、古い家並みを残しておいて欲しい。
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