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2010年2月23日 (火)

さっぱりしてきました。

P2060006_tomizawa_flat 最近、自宅の近所がさっぱりしてきた。なんだか、シムシティで、しこたまビルを建てたのに飽きてきて、予算がなくなり、道路やビルがボロボロになっていくかのようである。

P1090328_tomizawa_3 脇のバラスの駐車場のところには居酒屋さんがあり、それが寿司屋になった。赤いビル、ビジネスホテルのところには木造平屋の旅館があった。良く遠征で前橋競輪にやって来た選手が泊まっていて、部屋に近所の子供を集めて遊んでくれた。

P1170022_tomizawa 昭和40年頃までの話である。

旅館は看板を変え、ビルとなり、ビジネスホテルになった。寿司屋はいつの間にか駐車場になった。

P1230006_tomizawa 寿司屋のところは、ずっと昔から飲み屋さんがあったところだから、夜になると酔っ払いでうるさく、立小便する人もいた。

P1240001_tomizawa 寿司屋の奥には二軒ほど家があり、路地になり、入口に電柱があったから、そこが人目に付かず、立小便にはちょうど良かったのだろう。

P2200052_tomozawa_last それが、今やビジネスホテルがあったのも思い出せないほどになってしまった。50年も生きていると、周りは変わっていくものである。

P1230013_yokohama_from_parking 一年ほど検査で通院しているが、古いアパートはなかなか良い景色だった。私が子供の頃に建てられたのではなかろうか。横浜銀行の社宅だった。

P2060010_yokohama_from_parking 会社の寮ということで、殆ど出入りをした記憶がないが、昭和40年頃の高度成長期を表すかのような、ある面、憧れのアパートだった。

P2070268_yokohama_ashiba 二、三度階段を上って行って、ドアを開けた記憶がある。一時、同年代の子供がいたのだろうか。硬いコンクリートでガッチリ出来ていて、ガシャンと大きな音を建てて閉まる、丈夫な鉄製のドアも魅力的だった。まだ、その頃はの家は木造で、窓も戸も木枠。アルミサッシもない時代だったから。

P2120003_yokohama_kakoi 最近まで、駐車場にクルマがあり、何軒かは住んでいたようだった。古い建物は丈夫なんだと感じていたのだが。

P2200007_yokohama_end 先週末、自宅に戻ると、見事なコンクリートの小山が出来ていた。かみさんも「なんであんなに山になるんだろうね。」゜あれを片付けるだけで大変だ。」といっていたが、こんなに沢山コンクリートを使っていたのだから、丈夫に造られていたのだと思う。

P2200028_yokohama_from_parking 病院に検査に行く途中で振り返ると、随分とさっぱりとした景色になっていた。

私が写真を撮っていると、買い物帰りのおばあさんがやって来て、私の姿を見て、振り返って瓦礫の山を見ていた。

「はて、ここはどこだっただろうね…」

おばあさんは、そんなことを言ったと思うと「そうだ」といういう風に口を動かして、家に向かって歩き出した。

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