さっぱりしてきました。
脇のバラスの駐車場のところには居酒屋さんがあり、それが寿司屋になった。赤いビル、ビジネスホテルのところには木造平屋の旅館があった。良く遠征で前橋競輪にやって来た選手が泊まっていて、部屋に近所の子供を集めて遊んでくれた。
旅館は看板を変え、ビルとなり、ビジネスホテルになった。寿司屋はいつの間にか駐車場になった。
寿司屋のところは、ずっと昔から飲み屋さんがあったところだから、夜になると酔っ払いでうるさく、立小便する人もいた。
寿司屋の奥には二軒ほど家があり、路地になり、入口に電柱があったから、そこが人目に付かず、立小便にはちょうど良かったのだろう。
それが、今やビジネスホテルがあったのも思い出せないほどになってしまった。50年も生きていると、周りは変わっていくものである。
一年ほど検査で通院しているが、古いアパートはなかなか良い景色だった。私が子供の頃に建てられたのではなかろうか。横浜銀行の社宅だった。
会社の寮ということで、殆ど出入りをした記憶がないが、昭和40年頃の高度成長期を表すかのような、ある面、憧れのアパートだった。
二、三度階段を上って行って、ドアを開けた記憶がある。一時、同年代の子供がいたのだろうか。硬いコンクリートでガッチリ出来ていて、ガシャンと大きな音を建てて閉まる、丈夫な鉄製のドアも魅力的だった。まだ、その頃はの家は木造で、窓も戸も木枠。アルミサッシもない時代だったから。
最近まで、駐車場にクルマがあり、何軒かは住んでいたようだった。古い建物は丈夫なんだと感じていたのだが。
先週末、自宅に戻ると、見事なコンクリートの小山が出来ていた。かみさんも「なんであんなに山になるんだろうね。」゜あれを片付けるだけで大変だ。」といっていたが、こんなに沢山コンクリートを使っていたのだから、丈夫に造られていたのだと思う。
病院に検査に行く途中で振り返ると、随分とさっぱりとした景色になっていた。
私が写真を撮っていると、買い物帰りのおばあさんがやって来て、私の姿を見て、振り返って瓦礫の山を見ていた。
「はて、ここはどこだっただろうね…」
おばあさんは、そんなことを言ったと思うと「そうだ」といういう風に口を動かして、家に向かって歩き出した。
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