たまには、前橋の光景も
「馬鹿野郎! 今日スタジオで練習とは聞いてないぞ!!」である。もう、一時間も経っている。結構な雨の中、大変むかついて最後の30分でスタジオに入ったが、次男のベースも落ち着いてきていて、非常にギターが弾きやすかったという結論。
日曜日は、一転して快晴。これは何かしなくてはいけないと、カメラを持って表に出る。そして、カメラバックのフィルムカメラで写真を撮ろうとしたら、カメラにフィルムは入っていないし、カラーで撮りたいのに、白黒フィルムしか持っていないという失態。
そうなれば、あきらめもつくというもの。デジカメで写真を楽しむ。カメラバックの中で、唯一役立つのは、望遠のズームのみであるのだが。
いつもとは、ちょっと違うルートで、三河町の旧大竹酒造を目指す。昔、伯父さん家族が住んでいた三河町から、母方の実家方面まで歩こうというこんたんである。
大竹酒造の通りの交差点まで行くと、角の家がなかった。果たして、ここには家があったのか、元々空き地だったのか、全く記憶がないが、角からレンガの煙突が良く見える。
そして、反対側に目をやれば、二軒の家が空き地になっていた。こちらは、以前は何か建物があった記憶がある。ただし、やはり、明確に何があったかは思い出せない。
元牛乳屋は、以前は酒造か、醸造所だった面影を残している。今は牛乳屋でも、なんでもないが、街道筋らしい建物が魅力的である。
そして、この辺りは狭くて奥行きのある路地が多く残る。町屋造りの商店が並んでいた町だったのだと思う。熊谷ではないが、焼け跡に小さな家々が建った感じである。
大竹酒造の手前には、古い写真屋があり、古い「アパート」がある。玄関にアパートの住人の靴が脱ぎ捨てられていたのを思い出す。
しかし、この日は人気がなかった。もしかすると、取り壊されるのを待っているのかも知れない。
旧大竹酒造は、最終的には前橋市の所有となった。しかし、今もそのまま何も変わらずに残っているというのが実情だ。
もっと何か出来ないだろうかと思う。
ちょっと罪悪感を伴うが、私の好きなのは、大竹酒造脇の路地である。被写体はあくまでも酒造で、皆さんが生活しているところは、出来るだけ写真を撮らないように歩く。
何だか分からないが、住人と顔も会わさず、挨拶もなく写真を撮るのには抵抗を感じる。
昔ながらの細い路地なのである。「大竹酒造の写真を撮っています」という理由がなければ入っていけないほどの狭い路地。私が子供の頃は、そんな入ってはいけないような路地が沢山あり、それを探検するようにもぐりこんでいくのが、子供時代の遊びではあったが。
大竹酒造から、ジグザグに、くまなく歩いて中川小の方へと歩いていく。空き地になったところ。その向こうの家は、突然なくなった家のお陰で、見せたくはなかった姿をさらし出した感じもする。
その先で、黄色いイチョウを見つける。青空と紅葉したイチョウが美しい。今年は寒くなったり、暖かかったり、本当に、今までと比べると異常な天気だが。そのお陰で、場所によっては紅葉も中途半端であるが、ここのイチョウは、美しく黄色く色付いていた、
「丹下珠算教室」。私の子供の頃は、「丹下珠算塾」と呼んでいたところだと思う。今になってみれば、古い土蔵と石積みの蔵を利用していたのが理解できる。今も珠算塾をしているのだろうか。
更に先に行くと、私の父親が終戦直後に働いていたパン屋があるが、少し前までは看板に薄っすらと文字が残っていたが、今回訪れると、看板は真っ白になっていた。ひとつの時代が終わった。終わっていこうとしているのを感じたのだった。
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コメント
三河町は、私が小学生の頃前三や今井ストアーススランデパートなどに遊びに行くのに
ゲームやら前三の地下で、ジュースなどで小ずかいを使いはたし帰りのバス代まで使ってしまい、歩き
ながら帰った事がよくありました。
歩きりながら景色を観て帰るがとても好きでした。
途中でコーラ瓶などを拾いながら換金などをしながら帰った覚えもあります。
最近では、考えられないことですね。
とても、なつかしく感じます。
途中の写真に写っていた更地は、三代続いているモーター屋さんですね。
三河町は、区画整理が始まり懐かしい町並みがどんどんなくなります。
まぁ、住人の方は便利になり住みやすくなるのでしょうから、無責任な事は言えませんが
とても寂しく感じます。
私も、信沢さんと同年代ですからいつも懐かしく拝見しています。
これからも、頑張って下さい。
乱文ですみません。
投稿: | 2009年12月10日 (木) 09時57分
コメントありがとうございます。
このコメントを読んでいて、子供の頃の「まち」を思い出しました。
前三が出来る前は、赤かんばんがデパートでしたね。
一番上でしたでしょうか、食堂のある階に、ミニカーが売っているコーナーと、小さなゲームコーナー。
そしてテラスのところには10円(?)を入れると動く、かぼちゃの馬車のようなのがあったのを覚えています。
お小遣いは毎日10円でした。
学校から帰ると、10円玉を握り締め、ダーっと家を飛び出すと、暗くなる頃まで帰ってこない。
「鉄砲玉」と呼ばれていたのを覚えています。
> これからも、頑張って下さい。
はぁ。遊びなんですけど…。
じゃ頑張りますかね。前橋市のために!!
投稿: あつし | 2009年12月10日 (木) 20時25分
こんにちは。
自分もこないだ、この周辺をデジカメ片手に三河町周辺を巡りました。
大竹酒造前のアパートは、以前から「いい感じだなぁ」と思っていました。
松本零士さんの「男おいどん」のおいどんが住んでいそうな・・・そんな雰囲気で。
なんだか、ここ最近で急激に味のある建物が無くなっていっている気がして
寂しい限りです。
あつしさんがおっしゃっているとおり、どんなに撮りたい光景であっても、そこにいる人、
住民のかたに不快にならないように、というのを自分も心掛けています。
何かで読んだのですが、前橋で最初にエスカレーターが設置されたのが赤かんばん
だったそうで。「エスカレーターを乗りに」行列になっている子どもたちの写真が載っていました。
投稿: 前橋のモン次郎 | 2009年12月13日 (日) 08時32分
>この周辺をデジカメ片手に三河町周辺を巡りました。
なんだか文章が変でした。失礼しました。
投稿: モン次郎 | 2009年12月13日 (日) 08時36分
「赤かんばん」は、すごかったですよ。
食堂には、「お子様ランチ」があり、それでナイフとフォークの使い方を習ったりして。
父親は、フォークの背にご飯を載せて食べていましたが、私は当時からその奇妙な行為を疑っておりました。(笑
あと、「フルーツ・ポンチ」もあったな~。
あとは高級なレストランといえば、「ミヤマ」でしたね。
親戚で集まって、ちょっとお兄さんになっていた私は「スパゲティ」を頼んだのでした。
高級な百貨店でした。前三も、藤五もできる前の話です。
投稿: あつし | 2009年12月14日 (月) 15時19分