木崎の砂利採り線
空中写真をみると、今でも砂利採り線跡がわずかながら残っているようだったからだ。ちょうど通り道。「木崎駅」の標識を見て躊躇せず右折した。
砂利採り線の始まる辺りには、貨物駅と言いたい建物があった。その向い少し先には、大きな空地があり、その奥には立派な倉庫。もしかすると、この空地にも倉庫があったのかもしれない。
木崎駅舎の構内左手には、今でも砂利採り線であった敷地が残っている。
本線の向うにも、趣のある倉庫が残る。往時の東武鉄道の繁栄が伺える。
昭和の鉄道の駅前風情が残っている。どんよりとした空と、ちょっと広めの通り。そして枕木の柵がいい。
回り込むと、先ほどの倉庫の表に出た。ちょっと鉄道の臭いを感じさせる良い倉庫である。
駅前通りは、所々が空地となり、昔の面影を残すのも、あとわずかな期間である事を表していた。
年季の入った酒屋。立派な酒蔵でもあったかも知れないと思う。
カーブを曲がると、正面に木崎駅が見えてくる。真っ直ぐに駅へと突き当たるだけの道。今は、車同士のすれ違いがやっと出来るほどの広さだが、鉄道時代を象徴するような道路である。
駅前広場の片隅にビートルを停めて、広場を歩く。間もなく電車が来るようで、ホームには数人の乗客の学生がいた。
古い昔ながらの駅舎である。駅舎から駅前を見れば、角に古い商店が残る。昔は賑わったことだろう。
線路跡を辿るように車を走らせるが大きく迂回するしかない。途中で怪しい空地というか資材置き場脇を通る。
間もなく電車が来るであろうからまずは踏切を目指した。
この電車が走っているところの手前。小屋が建っているところが、今も残る、砂利採り線の路盤である。その路盤を利用して小屋を建てた感じだ。
木崎駅から延びる砂利採り線跡。この一つ目の踏切までは、綺麗に残っている。道路を横切った先の路盤跡と比較すると。写真右手前にカーブして行くこととなる。
本線から左カーブを描き分かれていく砂利採り線は、ビートルの位置になる。しかし、ここのスペースは、三角になっている。ちょうどポイントがあったかのように。
自宅に戻ってから、古い空中写真を見たところ、ちょうどビートルの後ろ辺りにポイントがあり、写真左手間へに分岐していたのを確認した。
その先は、工場となり、線路跡は分からないが、工場の敷地内で大きくカーブを描き、その先に何か鉄道施設があったようだ。
この踏切を目指して走っていたときに見た、怪しい空地がそれだったのかも知れない。廃止になったのは、もう40年も前のことである。しかし、私は小さい頃から、境町の親戚に行き、太田へ良く連れて行かれたから、この存在を知ったときはショックであった。
こんな近くに、楽しい鉄道があったとは。だからこそ来てみたかったのではあるが、実は身近にあって知らなかった悔しさから、今まで立ち寄らなかったというのも本音だろう。
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コメント
初めまして。
徳川河岸線を調べていましたら、このページを発見しました。
私は近場に住んでおりまして、何度か跡を見に行っております。
祖父は下流の仙石河岸貨物駅で、砂利採取業者の大塩組にいました。
そちらは貨物列車が走っていた記憶があるのですが、徳川のほうは
私が生まれた年に廃線になったもので、わかりませんが、
動画はありますね。↓
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12445165
約22分の動画中、4分過ぎから徳川河岸線が登場します。
ビートルもいいですね。私も30代のころ、乗っていました。
投稿: kiku | 2011年11月 3日 (木) 10時38分
ようこそ、kikuさん。
あの駅から川までの痕跡は、全くないのでしょうかね。
まだ何か残っていて欲しい、残っているはずだと、ついつい私は思ってしまいますが。
前橋辺りでも、昭和30年頃までは、各所で砂利を取っていたらしいですけれど。
川原ですから、今はもうほとんど痕跡がない気がします。
また、お越しください。
投稿: あつし | 2011年11月 4日 (金) 22時18分
こんばんは。
返コメありがとうございます。
本日、同地を再度訪問(地元ですので訪問とは言いませんが)しまして
そのレポートをUPさせていただきました。
http://blogs.yahoo.co.jp/qgpft945/30648117.html
投稿: kiku | 2011年11月 6日 (日) 20時10分
初めまして、地元太田人です。母は木崎出身です。まさかこんな路線が木崎から分かれて居たなんて
全く知りませんでした。調べてみたら、以外に東武鉄道の路線が多岐に渡っていた事も知りました。
殆どが廃線になっているので、精々伊勢崎・佐野・小泉・野田・東上位しか知る機会が無かったのです。
本当に貴重な情報有難う御座いました。
投稿: まるた | 2014年1月21日 (火) 17時23分
まるたさん、ようこそ。
私も、親戚が境町におり、境や木崎、太田という辺りに時折行っていたのですがね。
子供の頃は、全く痕跡は探せなかったですね。
鉄道の歴史は深いですので、是非、色々と調べていただいて、鉄道の趣味の深みにはまっていただければと思います。
デハ。(笑)
投稿: あつし | 2014年1月21日 (火) 20時18分
また、お邪魔致します。実はその後、母にこんな路線有ったのか訪ねて見ました。
が、全く覚えていませんでした(爆)時代的にタイムリーだった筈なのにw
やはり鉄道自体に興味の無いor当時は当たり前の風景だった人には、有無に関係なく
記憶に残らないのかも知れませんね?
そう言えば、この三角地帯の反対側にも何か貨物専用拠点が在ったようですね?
ニコ動の東武鉄道の動画に木崎駅の貨物が映っていたのはここだったのかも?
一応現在も駅舎からレールが延びて居ますね?
久々に伊勢崎まで乗ったら完全に高架に変わっており、驚きました!地元太田も学生時代に
工事が始まり、今ではすっかり変わってしまい、当時の木造駅舎と貨物用線が懐かしいです。
当時は伊勢崎から浅草まで一本で行けたのに、今では太田(場合に館林)・久喜で乗り換え。
ある意味絶望感を覚えました。(私は太田から秋葉原に買い物行くので、浅草まで寝てましたw
当時、敢えて北千住でメトロ乗換を選ばなかったのは意地ですねw)
youtubeでも東武貨物の動画が有ったのですが、一気に削除されてしまいとても残念でした。
連結作業風景を見るのを凄くワクワクしたのですがね・・・。
投稿: まるた | 2014年2月 1日 (土) 14時12分