古きを偲んで、新しきに期待。
つい一週間前にも、この辺りを歩いたはずである。月曜日にクルマで走ったはずだが、気が付かなかったのか、まだあったのか。いずれにせよ、ここ1、2週間のことであろう。
随分前から閉まっていたが、古い街道筋にあるような造りで通るたびに写真を撮っていたのだが。壊すという気配も感じとれないうちになくなってしまった。
またひとつ子供の頃の景色がなくなってしまった。時代が変わった、歳を取ったということであろうが、栄えた頃の前橋をもっと大切に残しておきたいのだが。
土曜日に、次男と昼食を食べに出た時に撮った「金垣洋服店」。こちらも、壊される運命か。
明治14年の建物だそうで、前橋市街地の国道17号沿いで、最も古い建物ではなかろうか。空襲で焼け、道路拡幅で取り壊され、古い建物は殆ど姿を消した今でも残っている。
「奇跡的」といのは、このようなことを言うのだろう。
私の知人が、ここを喫茶店とギャラリーにして残そうと、色々と動いたらしいが、最終的には前橋市の許可がおりなかったとか。
「窓をアルミサッシにしてください。」
「耐震のために、中に鉄骨を組みなさい」
はあ?
何時代の人の話だろうかと思うほど、前時代的なお役所のお話である。そのまま維持するから価値があるので、古い窓枠を外してサッシにしただけで、価値は激減してしまう。まして、鉄骨を組むなど、いい加減にして欲しい。
取り壊された家の先の角を曲がる。ここには、八幡様の大鳥居があったが、随分前に取り壊された。クルマが通るのに邪魔になったらしいが、今やここを走り抜けるクルマは少ない。
心配になって八幡様の北の昭和5年の家を見に行く。時折、家主がやって来て草刈をしたりしている気配はあるが、人の住まなくなった家は、少しずつ草臥れてきている感じがする。
建物は古くはないが、昔からやっている蕎麦屋へ向かう。「今年の11月に閉店する」と店のおやじさんから聞いていたからだ。
ところが近付いてみても看板が見えない。「もうひとつ先の角だっただろうか」と思ったが、建物の前まで行くと、やはりここだった。
ご子息が貼ったのだろうか、味気ないワープロ書きがセロテープで貼られていた。
とりあえず、広瀬川沿いを歩き、立川町通りの一本南の道を行く。まだ進駐軍の名残を感じさせる歓楽街の風情が残る。
この通りに入ってすぐの石屋さんも、隣に新築を始めていた。完成したら、今までのお店を壊すのだろうと思う。
昼食は「あおい食堂」とした。久しぶりに冷奴とホワイト餃子とビールという、飲兵衛の昼食である。
昭和14年生まれというお客さんと一緒に盛り上がっていたら、夕方になってしまった。
国道17号の歩道を歩いて帰っていくと、「いんごう家」の看板が目に入ってきた。
そうそう、私の家の近所にあった居酒屋が立ち退きで、こちらに店を新築したのだ。話には聞いていたが、看板が出来て、確信となった。
私の中学の同級生の弟さんがやっている店だが、中を覗くと同級生がいた。
「あれ、お兄さんがお店の準備かい。」
と声を掛けると、「寄ってって」と手招きをするので、ちょっとお邪魔した。沢山のお酒が棚に並べられ、開店が間もないことを感じさせる。
10月5日がOPENとか。既に10月は随分と予約が入っているらしい。古いところを訪ねてきた最後は、新しい店だった。随分と頑張ってやってきて、地元に根付いた店。移転したとはいえ、そう遠くなったわけではなく、学校区は変わらない。これからも地元に根付いた店として、前橋の歴史を作っていって欲しいと願うのであった。
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コメント
古い建物がなくなるのは寂しいですね。
それにしても日本って古い建物を大切にしない国だと思います。
木造で華奢な建物ばかりというのも理由のひとつだと思いますが・・・
投稿: herbie67 | 2009年9月29日 (火) 15時17分
herbie67さん、お久しぶりです。
いやいや、見ていたとは驚いた。
あおい食堂で、おばちゃんと話したけれど、前橋こそ空襲で焼けてね。
市街地の殆どが消失してしまったのです。
だからこそ、一軒、二軒と残った戦前の建物は貴重なんです。
戦後のバラックも殆どなくなってきてしまった。
戦後間もない前橋市街の多くは、配給の材木で建てた家ばかりだったのですよ。
それも、前橋市の歴史のひとコマ。残したいですね。
投稿: あつし | 2009年10月 1日 (木) 07時10分