5年前の今頃
さて、この砂利道はトロッコの線路跡である。閉山後も写真の左手の扉のところまでの線路が数メートル残っていた。そして、その上には木製台枠のトロッコが載っていた。
その後、線路を撤去して、扉を修繕し、砂利を敷いているのだから、あの後もしばらく使われたのだろう。
線路が入っていたのは、この変電所である。レンガ造りの洒落た建物である。
トロッコの線路は、道路からここに下ってくると、変電所と、さらに写真左手の油力発電所にも延びていた。
そんな名残が、まだ見出せていた。
手前には、まだ現役の変電所が、真夏の暑さを助長するかのように「ブーン」と音を出していた。
その隣には、写真を撮っている場所、水色の吊り橋が架かっていた。その下、ちょうど変電所の下辺りに、通洞坑への吊り橋がかかり、さらにその向こうの少し下には、砂畑鉱山への坑内軌道の橋も架かっていた。
いつの間にか、その三つの橋の全てがなくなってしまった。
吊り橋と、古いが近代的な感じのする変電所。そして、山側の足尾線のガーター橋を門のようにくぐった先に巨大な選鉱所。
とても足尾らしい光景を造っていた。
選鉱所の脇には、汚水処理のコンクリート製のプールが、いくつか残る。涼やかに水がはられたプールの脇の、ビーチパラソルが、良く似合っていた。
足尾線沿いに細長く続く、中才の住宅群。その先には選鉱所。閉山前の足尾の生活を想像させる場所である。
選鉱所も、今は、随分と朽ちているであろう。
中才の住宅の中ほどから、川に沿うように登る階段。お稲荷さんがあり、その脇には子供のための公園があった。
ブランコ、すべり台。今でもあるのだろうか。
レンガの壁は、火事の延焼を防ぐための防火壁である。木造の長屋が連なる足尾の集落には、必ずといっていいほど、この防火壁が造られていた。
クールな感じのレンガの壁ではあるが、これが足尾の生活を守り、安心感を与えていたのだと思う。
中才の住宅の真ん中の通りを、選鉱所の方に向かっていくと、小さな橋があり、そこには二本の溝がある。
これが、足尾の坑外軌道といわれた線路の跡である。
その昔、馬車の時代は、線路は切幹の手前で別れて、小滝坑まで、そして一本は、渡良瀬川の対岸に渡り、原向の駅前を横切り、沢入の駅まで続いていた。
反対側は、足尾駅のところで別れると、一方は渡良瀬を経て、日光へ抜ける細尾峠のところまで。そしてもう一方は、足尾から本山の精錬所まで続いていた。
自動車がまだ普及していない時代、未熟だった時代。足尾では、この坑外軌道のほかにも、坑内軌道と呼ばれていた線路も、坑道を出て各所に延びていた。
そうか、5年前の今頃は、足尾に行っていたか。
今度の土曜日に、足尾に行ってこようか。足尾は、あの時のように草が生い茂り夏らしい景色を作っているだろうか。
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コメント
日光方面に旅すると寄るエリア足尾。
未だ未だ知らない所が有るな。
坑外軌道、とても興味深いです。沢入ってかなり下流の方でしょうか?
一度だけnobusanの真似?をした風な記事を書いてみましたが....駄目ですね^^;
東京下町の酒屋をウロツく記事も好きです。
大勢でワイワイ飲むのも有るんでしょうが、一人ウロツく記事を読んでると夢心地ですね。
東京は住んでた町で仕事も神田でしたが、遠のいて久しいです。
やはり文化の有る町だなと改めて思います。
今週から本格的に夏休み。
映画「彼のオートバイ 彼女の島」に出て来る信州の温泉地を尋ねようかなと思ってます。
この映画好きなんです^^
投稿: 野宿屋ノブ | 2009年8月16日 (日) 21時37分
> 「彼のオートバイ 彼女の島」に出て来る信州の温泉地
むむ、それは?と思って調べてみると「法師温泉」ですかね。
だとすれば、群馬の秘湯的な温泉ですね。行ってみたいですね~。
投稿: あつし | 2009年8月17日 (月) 00時00分