どんより前橋
まあ仕事などで疲れていたから、余計に楽しく飲んだのであろう。それでも、早く寝たら、いつもと同じく6時半ぐらいには目が覚めてしまった。ところが、何をする予定でもない。ゴロゴロとして、えりこさんに合わせて朝食。
久しぶりに美味しい朝食を食べて、パソコンに向かって、テレビを聴く。なかなか、楽しい番組をやっている。
昼近くになって、「今日はどうしよう。」と。
畳に横になり、昼からの2時間ドラマを眺めていたら寝てしまった。気が付けば午後4時である。さて、何をしようか。どうしようか。
昼前にも同じようなことを考えていて結論が出なかったが、ここまで寝てしまえば、食事をするにしても近所しかない。しかも遅すぎるから、普通に食事をしたら、夕飯が食べられない。
近所の喫茶店で、軽くサンドイッチでも食べようと家をでる。八幡様の所の蔵はシートで覆われてなにやらやっていたが、今日は白壁が現れていた。取り壊しではなく、修復していたようだ。
床屋さんのウスナミさんのおやじさんも大した事じゃなかったようで、営業をしている。そして、八幡様の所のお店のおばちゃんと駄弁っていると、鳥居が明るくなってきた。どんよりとした雲の間から、日が覗いたのだった。
路地を抜けてぐるりと周り、「コーヒーハウスろはん」に入る。軽くサンドイッチと思ったのだが、「焼うどん、焼そば、ドライカレー? サンドイッチは作れないのよ。トーストはあるけど。」と。
結局、「ドライカレー」の響きに釣られて頼んでしまう。
「昔、ここはモスバーガーだったところでしょ。でも、この店も古いですよね。30年ぐらいは経ちますか。」
「そこまで経たないけれど、長いよ。24年ぐらいかね。」
そうそう、私が結婚した頃にできたのだと思う。一度くらいは寄ったことがあるような気がするが、さなかではない。ちょうどあのころから、東京の仕事が多くなってしまったから、前橋を歩かなくなっていた。
それにしても、こんな喫茶店は少なくなった。ドライカレーはとても懐かしく、美味しかった。喫茶店といえば、若者の溜まり場であつたかもしれないが、今では年寄りの溜まり場かもしれない。
時代と共に、みんな変わって行くのである。
店を出れば5時を回っていた。向いの「みやたや」さんでは宴会でもあるのだろうか。厨房の辺りから、忙しそうな音が聞こえてきた。
中央通りアーケードの方を見れば古いビルが一軒残っている。この裏手にあった古い旅館も最近なくなったし、殺風景になっていく。
みやたやさんの南には食堂「こまどり」のおばちゃんの実家があったらしいが、今は空地で駐車場になっている。その裏、東電のビルに挟まれたガラス屋さんのある通りを抜ける。私の父親が大工だったから、ここのガラス屋さんとはお付き合いがあったのだと思う。
戦争から帰ってきた父親は、東京電力への就職が決まっていたらしいが、私の祖母が「仕事が終われば現金になる大工になりなさい。」とのことで、就職をせずに、大工になったという話を思い出す。
私が就職をする頃、父親は「大工なんかになるな。サラリーマンが一番いい。」と自分がサラリーマンになれなかったことを悔やむようなことを良く言っていた。しかし、私自身や、長男坊を見ていると、我が家の人にサラリーマンは務まらない気がする。父親もきっと務まらなかったと思う。
近所の当たり前の景色を眺めながら、そんな事を考えて歩く。家が近付く。いつもの犬の所の通りだ。見つかると、彼はうるさいんだ。
幸い、鎖の先には犬が見えない。散歩にでも出たのか?
それにしてもおかしいと、近付くと犬小屋の前に小瓶が置かれ、まだ新しい花が供えてあった。
世の中、時間と共に変わって行くのだと実感するのだった。
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