夫婦で熱塩までドライブ
朝4時半頃自宅を出発。ルートはいつも通り、足尾から日光に抜け、鬼怒川、五十里湖を経て会津に入る。桜の時期は終わってしまったと思っていたが、立ち寄った足尾駅の牡丹桜が満開だった。
日光から小さな峠に入り、ウエスタン村に抜ける途中の田んぼには、水が敷かれ田植えが始まっていた。静かな朝の水田は、まるで鏡の様に、辺りの景色を映していた。
ずっとなだらかな山道が続く、このルートは走りやすくて、大好きだが、'65ビートルは、1200ccながら、なかなか良く走ってくれる。さすがVWである。
五十里ダムを登って、湖の畔を走ると、前を行く車に'65ビートルが写っている。
「カッコイイ!」としばらく後ろを走らせて貰った。
ゴールデイウィークだし、だんだん時間が経ってくると走っている車も増えてくるが、このルートだと、そう混む事もなくドライブを楽しめる。
それでも時折、未知の所に迷い込んだかのように、カーブの連続する道を、もたもたと行く車も現れる。
ゆるくて浅いカーブの連続だから、ブランコをこぐようにリズミカルに走らせれば気持ち良く、楽しく走れると思うのだが。
特にゆっくり走っている車ほど、挙動がおかしかったりする。日本の自動車の歴史が浅いのが良く現れていると思う。運転歴は長いのかも知れないが、まるで車のことを理解していない感じがする。教習所でも、車の操縦法に関しても教えるべきではないかと思う。道交法の勉強は、車の運転方法とは全く関係ないことなのだか、一緒くたにされているようなところがある。
会津田島に入り、コンビニで朝食休憩。私は、既に途中で食べながらのため、田島の町を少し歩く。
会津に入って先ず向かったのは、下郷から日光街道に入ったところの酒造である。昨年は朝が早すぎで閉まっていたが、今年は玄関が開いていて人影が見えたので声を掛ける。
「松島屋商店(松島屋醸造本舗/千代の松乃井醸造本舗)」と箱にはあり、明治の初めの創業なのだそうだ。
「今は協業だけどね。」とおばあさん。元々の酒造何社かで、ここで酒を造っているのだろうか。
「今日は、孫たちも来ているから、上がって一緒にお茶でも飲んでいきなさい。」という温かい言葉を貰ったものの、熱塩駅に昼前には行かなければならない。先を急ぐことを伝えて、店を出る。
国道に戻らず、このまま街道を行けば、大内宿に抜け、そこから新しい道で本郷に出られるという、おばあさんの言葉に街道を行く。小さな峠を抜けると、宿場があり、その先に大木が現れた。すかさずビートルを停めて写真を撮る。看板によれば「樹齢950年のけやき」であった。
もう一つ小さな峠を越えて下り始めると、右下に車の行列が見えてきた。
「何があるんだ!?」
「???」
と思っているうちにその道に丁字路でぶつかった。大内宿に向かう車の行列だった。こちらは、大内宿が目的ではないので、すぐに、「国道に戻ろう」と、右折をして皆とは逆方向へ行く。
しばらく走って驚いた。あまり動いているとは思えない対向車の行列だが、カーブを曲がっても、曲がっても、どこまでも続いている。200台、300台、いやもっと長いかもしれない。
国道に出る1キロほど手前でやつと行列は終わったが、国道から次から次へと車が入ってくる。まもなく、国道まで溢れるのだろう。我が家は、国道へ出るところでの少々の混雑で「イラっ」としたが、逆方向の人はそれでは済まないだろう。
それにしても、酒造の方は、殆ど観光客はなく、いつもと変わらない寂れた風景だったのに、一つ隣の谷では、こんなことが起きていたとは。
えりこさんが、「みんな、よく知ってるね。」と、大内宿のことを言う。
私は、「いや、みんな知らないんだよ。」と、みんなが大内宿以外のことを知らないことを言う。同じ古い街道なのだから、大内宿ほどではないにしろ、見所は他にもいくつもあるのだから。
国道は、少々車は増えたものの、大内宿へ向かう車が走る対向車線ほどではない。芦ノ牧温泉を過ぎると、左折して本郷へ入り、会津高田へ向かう。高田のコンビニで、会津若松のワーゲン仲間に電話をし、「イカスミ神社」、いや「イサスミ神社」の脇を走り、駅へと向かう。
列車はやってこないが昔の貨物ホームなどの写真を、ちょちょっと撮って、喜多方へ向かう。
会津坂下を抜けてそのまま北上すれば喜多方である。そのすぐ先が日中線記念館となった旧熱塩駅である。
大内宿の大渋滞があったので、混雑を避けるようにルートを選んだ、というよりも、いつものルートでもあるのだが、上手くいったようだ。
熱塩駅には12時5分前に到着できた。素晴らしい。
「日中線記念館」は最近、道路に案内標識が付いたら、毎日の様に観光客が立ち寄るとのこと。それで、最近はイベントも開催するようになってきたとのこと。
この日も沢山の車が駐車場にあるので驚いていたが、そんなわけだったらしい。しかし、いつもの殺風景な熱塩駅とは正反対。観光客が散策したり、お弁当を食べたり、写真を撮ったりしていると、活きた場所に見えてくる。
「熱塩駅も、頑張ったね。長生きしてよかったね。」とホームの柱を叩きながらえりこさん。
熱塩駅から熱塩温泉「ますや旅館」へ。いつもの通り、お茶を飲んで駄弁るという形式の「打ち合わせ」。旅館のおかあさんが、「こごみ」を出してくれて、田舎に来た甲斐があるというものだ。
まだ、これから会津若松の友人に会わなくてはいけないし、昼食もとっていないので、申し訳ないといいつつ、熱塩を後にする。そして、今度は喜多方も、会津若松市街も通らずに、会津若松の約束の店に行くという、画期的な行動にでる。
しかし、その前に「熱塩」に寄ったら、「加納」である。こちらは線路跡の辺りは道路へと変わり、駅はなくなってはいるが、駅前の風情は残っていた。
ここには加納鉱山というのがあった。今のひめさゆり群生地の辺りである。その山添の道を南下すれば坂下の方に戻れる「ハズ。」と、殆ど車の走っていない道を行く。なんとなく坂下へと出て、そこからは、会津若松へ。そして若松市街の輪郭をトレースするように、市街地の外側から、目的の店にアプローチする。
とにかく、走ったことのない道ばかり、というかいつもと逆のルートだから難しい。
「これで、店の前に出たら、素晴らしいね。」などと会話をしていたが、途中から、
「今、どこにいるのかもわからなくなった。」と…。
しかし、最後の角を左に曲がり走り始めると、ずはり目的の店の前に出たのだった。
運がいいというのか、流石というのか。それはともかく無事に友人と会い、昼食にもありつけた。
帰り道は、どうも下郷の信号のところから渋滞をしていたようで、湯之上温泉辺りから渋滞が始まり、私は眠くなってしまった。そこで、えりこさんの登場である。
「平らなところはお願い。」と私は隣で、のんびりとしてうとうととする。最近は目が悪くなってきたので、目が疲れるのが大きい。それで眠さも助長されているところもある。だから、寝なくても、ちょつとボーとしていたり、遠くの景色を眺めたりしているだけでも、随分と良い。
数分だったが、うとうととして目が覚めると、アーチ橋のところ。ここから峠道が始まる。五十里湖を縦貫するとても長い峠だ。
信号を左に入ると、ビートルを左に停めてドライバー交代。ここからは、渋滞はなく、流れも良くて、眠くなることなく前橋までスムースなドライブとなった。
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