田浦の軍用線
しかし、今でもこのような線路が残っていたとは素晴らしい。線路自体は日本海軍や米軍が使用していたため、しっかりしすぎている感はあるが、港に廻らされた配置は、興味を誘うものである。
それにしいもただの引込線としては不思議な存在ではある。まず、駅から複線のトンネルを抜けて港へやって来るところがとても立派である。そこから海に向かっては、真ん中に道路が配置されるほど幅広い複線状の線路。
その立派な複線と、一本の線路が直角に交わっている。そこだけ見ていると、なぜ直角になっているのか。まるで別々の線の様に交わっている。もし鉄道模型をしていて、平面クロスレールを持っていれば、それはやってみたいことではあるが、そこにはリアリティはないと感じるだろう。
駅から出た複線は、大きく左カーブを描いて、道路を横切るところでもう一本と平面クロスになるが、その手前、カーブの途中から、ポイントで右に分岐し、そのままカーブを描いてトンネルへと入り、ちょうど単線部分の引き上げ線の様になっている。
素人さんにはなぜトンネルの途中で線路が終わっているのかと感じるだろう。しかし、玄人が見れば、良くあるトンネルを利用した引き上げ線ではある。
ところが、それはただの引き上げ線ではなかった。玄人の目も欺くほどの施設の入口がトンネル内にあったのだという。
ただ、線路が残っているだけでも楽しくてしょうがないのだが、そこに謎解きが絡むとなると、一段と興味も湧いてくる。
それにしても、この線路配置。平面クロスに、鉄橋もあれば、トンネルもある。鉄道模型で再現して、小さな機関車に貨車を押させてみたくなる。
ただの寂れた港と古ぼけた引込線ではなく、ここには活気のあった頃の日本の景色も残されているように感じた。昭和の日本の景色の片鱗が残っていると。
軍用線という負の部分も大いにあるが、そのお陰で時代の流れから取り残された町。鉄道もそうだが、辺りの景色も昭和である。
こんな地域が今の日本に残っていたとは。いくつかの倉庫は既に取壊されてしまったらしいが、まだまだ旧日本海軍のものと思われる倉庫が残っている。できれは、この町は、そっとこのまま後世に残したいほどだ。
是非、皆さんも余計な事は考えずに、素直な気持ちで、この港の町を歩いて欲しいと思う。
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コメント
は〜...くらくらしちゃいますね。
道路と同化しながらもひっそり主張している引き込み線。
トンネルに橋、旧陸軍の倉庫....
最後から2枚目の写真。ここに座って好きなモルトウィスキーと葉巻をやりたいです。
熱塩駅近辺もノブにはジャストフィットです。ノブもあの辺りの行き来は長く、15年以上になるかな。田舎道万歳です^^/
投稿: 野宿屋ノブ | 2009年5月 7日 (木) 19時10分
ノブさん、ど~も。私も、のぶさんです。
私の場合、父親が仲間内から「のぶさん」と呼ばれていたので、子供のうちは「のぶさんのせがれ」と呼ばれていました。
それがうれしかったですね。そのうちに、私がのぶさんと呼ばれるようになると、今度はそれはそれはうれしかったですね。
さて、熱塩温泉ですが。私が始めて行ったのは、昭和49年の夏休みの家族旅行でした。
それ以来、ほぼ毎年のように行っています。
あの山に囲まれた小さな温泉町が好きなんです。
以前から、山形屋の若社長さん家族とは仲良くさせてもらい、近年は「ますや旅館」のご主人、ますみさんと仲良くさせてもらっています。
いいところです。熱塩は。そして、人もいい。我が家にとっては、自分たちの田舎のような感じがあります。
子供たちは、生まれたころから毎年行っていましたし、山形屋の娘さんたちと歳が近いこともあって、一緒に花火をしたこともあります。
山形屋さんの旧館が新しくなった時、そんな話をしていたら、次男坊が「行きたい」と言い出して、仙台に行った帰りに新装成った山形屋さんに寄ったこともあります。
家族にとって思い出の地でもありますし、思い出になるほと良いところだと思っています。
長いか・・・。
投稿: あつし | 2009年5月 8日 (金) 00時01分