群馬の秘境「根利」
その後は林業の村になった。根利の一番奥の「砥沢」というところは、足尾銅山の小滝坑と鉄策、つまり索道、ケーブルカーで繋がっており、比較的豊かな地域だった。まあ、それは奥地の話。元々の宿場があった所が賑わったのは、戦時中だろうか。
物資が不足していたから、根利の豊かな森林資源に国は目を付けた。いや、それよりも足尾銅山の続きの山だから、鉱物資源を求めたのかもしれない。
以前聞いた地元のおばあさんの話では、「森林鉄道と一緒に、鉱山技師もやって来た。」とのこと。
森林鉄道が出来、官舎が建ち、多くの地元住民は林業の恩恵を受ける事となったが、今は林業は衰退したものの、環境を活かし、昭和30年代に林業の研修施設が出来、今でも「林野庁森林技術総合研修所林業機械化センター」として続いている。
そこには、過去の林業機械が展示され、その一貫で各地の森林鉄道で活躍した代表的な機関車と車両が飾られている。
私たちの活動は、風雨にさらされてみすぼらしくなって行くのをどうにかしたいということだった。しかし、ここには森林軌道があったという事実もあり、活動は機関車の修復と、森林軌道の調査となった。
各地に森林鉄道があったが、前橋営林局は空襲で焼けてしまい、公的な資料が殆ど残っていないということもあり、森林鉄道マニアにも、あまり知られていない存在だったから。
日曜日の午後は、車両の修復と、軌道調査の二班に分かれての活動とした。私は、軌道跡を訪ねた。車で行けるところまで行き、軌道跡を探して歩く。雪が解けたあとの林道は、各所で土砂崩れが起きていた。林業が活発でない最近は、林道もあまり整備されていないらしい。
そして、ある程度行ったところで、谷側が土砂崩れしていた。「ここには車で来られないだろう。」その光景を眺めて、山側に林道が左カーブすると、その先は山側からの土砂崩れが林道を越えて谷まで行っていた。「この先は、もう歩くことも出来ない。」
素人目に見れば、何もない山だが、所々に森林軌道の跡が残っている。そんなところを探しながら歩いて下る。渓流釣りの人も時には訪れるらしいが、普通の人はやって来ない。根利の宿場のあった辺りは、観光客も来易いだろうが、こう奥まで入ってくると、やはり今でも群馬の秘境である。
帰り道は、そんな群馬の山奥の、行き止まりのようなところの景色を楽しむかのように歩いた。
この辺りは、林道が整備されなければ、このまま自然に帰っていき、誰も行かない、誰も行けないところになっていくのかもしれない。
そんな秘境でも、今は意外と身近なところでもある。興味ある人は、是非訪れて欲しい。但し、必ず現地の人を案内にする事。これから暖かくなると夕立もあるが、その夕立で土砂崩れも起こるらしいから。地元の人も、夕立が来ると一目散に山を下ると言う。
そんなところで、こうして歩けたのはとても幸せだった。
森林軌道に沿って、分校があり、発電所があり、作業をする人の寝泊りする家も点々とあったという。今は全く想像が出来ないほど自然に帰っているが、こうして歩いて、往時を偲ぶのも悪くはないと思う。
尚、こちらに私が昭和55年に訪れた時の写真があります。まだまだ、根利宿の面影が色濃く残っていた頃です。
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コメント
根利山、カンコウ鉱山(鉄鉱石)、造林鉄道について小さい頃に見聞きしたことがあります。
投稿: 小林 広己 | 2012年11月 1日 (木) 21時50分