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2009年4月30日 (木)

昭和の日だから横須賀に!?

P4290240_kanda どうせ横須賀線で出掛けるのであれば、普段と違う駅で乗り換えていった方が良い。色々とルートを考えたすえ、銀座線の神田でJRに乗り換えることにした。前の晩が遅すぎたから、昼過ぎになってからの小旅行である。

P4290249_tsurumi 東京駅で、逗子行に乗り換え、横須賀線を行く。私は、どうも横須賀線ははじめてらしい。車窓の景色が目新しく、一時も目を離したくないというのが本音だが、大の大人がきょろきょろしているのは恥ずかしいから、ちょっと控えめではある。

P4290257_kamakura なぜ横須賀かといえば、「田浦」という駅に興味を持っていたからである。古い港町に残る引込線跡。そんなところが気になっていた。ならば、もっと時間を取って行きたいところだが、なかなか機会もない。

「よし、今度は行くぞ」と数日前に思ったわけである。それは「昭和の日」だった。そして、私の父親がいた横須賀の隣りだった。

P4290275_hikikomisem 逗子という駅は、終点の風情を持つ、雰囲気の良い駅だった。そこから4両編成の短い電車に乗り換え、景色もローカル線風情が漂ってくる。駅を出ると、いくつかの側線があり、何か怪しい雰囲気だと思ったら、やはりそこから引込線というか、専用線だろか延びていた。

P4290280_tunnel 次に側線が現れたのは、トンネルを抜けたところ、田浦だった。トンネルから出るとホームとなり、そのホームの先はまたトンネルとなる。山と山に挟まれた狭いところに、目的の駅はあった。

ホームに下りれば、緑が茂った山が迫り、天気も良くて、まるで真夏のような光景だった。

P4290301_tauramadokara 父親は昭和3年生まれ、志願兵の「海軍特別年少兵」として、横須賀にやって来たのだった。視力が悪いから、特攻隊にはなれなかったらしいが、字が綺麗だったので、高松宮様の下で働いたのだと言う。

そんなわけで、昭和の日に、ここに来たかったのである。

P4290302_tauraeki トンネルの先、横須賀側には米軍基地もあり、駅を海側に出た左手には海上自衛隊の施設が並ぶ。この小高い山々と、いつくかの入り江が海軍にとっては都合が良かったのだろう。横須賀の海軍基地というものは、かなりの広範囲に及んでいた様だ。

P4290311_kosenkyokara 入り組んだ山に開いたトンネルは、コンクリートで固められた要塞か何か、軍事施設の入口のようにも見える。いや、この辺り全体が軍事施設だったのだろう。

横須賀は空襲がなかったというという話もあるが、それはある面正しく、ある面誤っているのではないかと思う。

P4290326_fenceand 終戦が近付いた頃、基地には頻繁に空襲があったらしい。空襲のたびに被害者が出たと、随分前に父親は話してくれた。

始めは1人1人の遺体を風呂場で洗い、その上で火葬して埋葬したのだという。

ある時、空襲があったが、私の父親は寝ていて気付いたら、空襲を受けており、逃げる事が出来なかった。空襲が収まると、仲間が戻って来て、「おまえ、戻ってくるのが随分早いな。」などといわれたとか。今になれば、それは父親の笑い話ではあるが。

最後の空襲はひどかったらしい。皆が逃げたところを集中的に攻撃されたようなことを言っていた。風呂は死体で溢れ、表に集めた遺体は山となり、そのまま火葬したと言っていた。その場に居たと言う人間の話だから、それは事実に違いない。

P4290444_souko 田浦駅を北側にでると、古めかしい倉庫に目を捕られながら歩いていた。しばらくして、古い倉庫の前に線路が埋まっている事に気が付いた。線路はとても立派な物で、良く廃線を「ヘロヘロと延びた」と表現するが、そんなものではないがっちりとした物だった。

P4290696_minatosuzei 途中で横須賀線から延びてきた線路と平面で交差しているのだが、駅から来た線路は、複線で岸壁まで続いている。軍の施設だから、立派なものを造ったのだと思う。終戦後は米軍が利用し、今でも米軍の管理下なのかもしれない。

今の日本国であれば、さっさと線路を撤去して、道路を拡幅して舗装しなおしてもおかしくないと思うからだ。まあ、軍事施設が散在する地域だから、日本国政府としても、触れたくはないのかも知れない。お陰で、線路は自体は今でも残ってくれているわけである。

P4290745_tunnel しばらく線路を辿って歩き、自衛隊に沿って、グルリと山を回り、国道16号のトンネルをくぐり、駅の南側にいく。国道沿いには、古い建物も点在している。これだけでも、見る価値はあると感じる。

駅前に出ると、5時を回り、山に挟まれた町は薄暗くなっていた。「鈴木屋」という店の前を通り過ぎると、おばちゃんが開店の準備をしていた。16号に出てみても店はない感じだから、暖簾は出ていないが戸を開けて「いいですか?」と店に入った。

P4290749_suzukiya 店は、カウンターがずっと延びているだけの面白い造りだった。

「このカウンターだけの店ってのはね、あの頃はなくて、うちが一番最初だよ。」昭和45年の話だそうだ。以前は駅前は、反対側、海側にあったらしいが、今は跨線橋を降りた信号のすぐ左手、山際に一件残るのみである。その隣りに鈴木屋もあったとか。

P4290787_yorunotauraeki 夜7時前に店を出ると、空にはほのかに明るさが残るものの、辺りは暗くなっていた。夜の山の中の駅は良いものだ。山に挟まれて田舎のようではあるが、隣りは横須賀であるから、乗降客も少々居るので、それほど寂しくはない。

P4290817_kaerinotaura 2時間半ほど歩き、天気の良いせいもあり、喉が乾いていたのだろう、空腹でビールを一気に飲んでしまっていた。たまたま来た電車は東京行。「これなら寝過ごす心配もない。」そんな気持ちも手伝って、電車に乗って座席に着くと、うとうととしてしまった。

まあ、色々と考える事もあり、感じる事もあり、半日ではあるが充実した旅であったと共に、帰ってくれば、また機会があったら行かなければいけない。そんな感じの欲求も湧いてきていた。

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