前橋、朝日町から三河町へ。
先日は、国道50号沿いの写真を主に紹介したが、あの日は、50号から路地を入ったりしながら歩いたので、今宵は裏通りの写真を。
西尾呉服店の手前に、今は大きなカラオケボックスが建っている。その裏の方に鯉の養殖池が並んでいて、田村自動車という修理屋があったので、そちらへ行ってみる。
カラオケボックスの駐車場には、古い立派な家が残り、ネコが日向ぼっこをしていた。裏通りに出るととても狭かった。
「こんなに狭かったのだろうか。」
その狭い道の南側には古い家がずっと連なっている。二軒長屋のような感じで、この近所に大きな会社があり、そこの社宅の様にも思える。
古い家並みの中を高校生が自転車で二人乗りをしてカラオケボックスに入っていく。
ネコが日向ぼっこをしていた家は、新しいテラスなどが作られているので、まだ住んでいるのかと思ったが、通りからはあまり人の気配は感じられない。年寄りが住んでいるのか。それとも、年寄りも介護老人ホームにでも入ってしまったのだろうか。
申し訳ないが、ついつい余計な事を詮索してしまう。
銭湯の裏にも、低い家が連なっていた。この板塀というのが懐かしい。近所の家の庭の池を覗きたいのだが、この板塀というものは、見えそうで見えないことを思い出す。
「あっ、ここだ」と記憶がよみがえる。
この家が知り合いの家なのか、たまたま、当時家の人と話をしたのか。
それとも、洋風の建物と広い敷地に興味を持って忍び込み、そこで見つかって怒られたのか。
まあ、偲びこんだにせよ、ここのおばあさんと思われる人と会話をし、そのうちにおじいさんも出てきたのを記憶している。
歩いてみてみるものである。全く忘れていた記憶がよみがえってくる。しかし、とても優しいおばさんだったことを良く覚えている。
家に帰った後も、私は興奮して、この家の記憶の事を、かみさんに熱く語ってしまった。
川のところまで来ると、銭湯から煙が上がり始めていた。もう、銭湯も営業する時間かと思う。
国道50号をしばらく歩き、前橋―古河線に入って一つ目の角に昔はスーパーがあったと記憶するが、違っただろうか…。
そして、その角の南側には、見事な昭和が残っていた。
「焼まんじゅう」の看板を掲げた、古い立派な商店である。
ここに来て、実際は「ここが伊勢崎へ行く街道」だったのではないかと気づいたのが実際だ。
50号から入って来て、この角から先は道が狭くなるのだが、拡幅されなかったお陰で今も往時の姿を残していてくれた。
ここからは、国道へ出ずに裏道を行く。途中で勉強道具のカバンらしい物を提げた高校生らしい女の子とすれ違う。
途中寄り道をして、戻ってくると今度はその子が目の前を歩いている。
「?」
漂ってくる焼まんじゅうの匂いが懐かしい。買ってくれば良かったとも思うが、ここから歩いて持ちかえったら冷めてしまう。
それにしてもイイ臭いが随分と漂っている。行きは川のところは、銭湯の煙の匂いがしていたのに。
「?」
もしかすると目の前を行く、あの子は焼まんじゅうを買ってきたのではないか…。
それにしても、古い店などが点在する良い道だ。もしかすると、今の国道が出きる前はこちらがメインの通りだったのではないかとも思いたくなる。
それとも、昔の50号は、裏通りまで賑やかだったのか。
冬の青空に漂う銭湯の煙、青空に映える美しい木造住宅。子供の頃を思い出す。
昭和を感じる古いアパートも残っていた。もう空室だらけのようだが。
ところで、鯉池は跡形もなかった。
両毛線の前橋駅の東側は窪地で線路を敷設で盛り土をするために穴が掘られ、その穴を利用して沢山の鯉の養殖池が誕生したと聞いた。しかし、今度は両毛線の高架工事のために、線路沿いの鯉池は、皆埋め立てられてしまったようだ。
そうだ、鯉の養殖場の脇には川があったはずでが…。その川に逃げてくる鯉をとりに行ったこちもある。その川でアヒルが泳いでいたのも覚えているのだが…。
馬場川だと思うが、国道50号をくぐると、真中に仕切りがあり、二つに分かれていた。それは今も変わらない。
その川に沿っていくと、なんとも懐かしい建物が現れた。そんなに古くはないが、何かの事務所で、二つに分かれた川に斜めに掛かったコンクリートの橋などに子供の私は、興味を持っていた。「川のそばで遊ぶと危ない」などとも言われたが、私はここが好きで、何度かここで働く人に遊んでもらったような気がする。
そして、川に沿って国道50号にでると、私はしばしのタイムトリップから、現在に戻っていた。
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コメント
銭湯というのは、「松の湯」のことですかね?
確かに三河町の裏道というのは、車では狭く、
あまり通らない道ではありますよね。
昔、この辺りに鯉か何かの養殖池があったというのは
ボクも聞いたことはありますね。
あ、そーいえば
前回 中川小学校のことを
三河小学校と書いたドジを思い出しました(笑
投稿: 男ガール | 2009年2月12日 (木) 19時49分
はいはい、どじは私もいつもの事です。
どうしても自分の頭の中の記憶を中心に書きますので、そんなのは仕方がないです。
私の父親は、プログに書いた「田村自動車」というところへ車検や修理に出していましたので、その狭い道を行くのですよ。
「狭くて大変だ」と言いつつ、いつもそこへ持っていっていました。
私も、車を買ってしばらくは、そこに車検や修理に出していました。
代車のコルトのピックアップが、凄い快適と言うか、回るエンジンで、楽しませてもらいました。
当時の車は、整備をちゃんとしていると、速いというか、やはり回るエンジンになる車が多かったですね。
ニッサンの1200ccのエンジンも、とても良いエンジンでした。
デハ、
投稿: あつし | 2009年2月12日 (木) 23時20分