沼田街道、沼須の渡し
それで、またUターンをして、沼田へと向かったが、結局30分ほど遅刻をしてしまった。
行った先は、通称「沼須の公民館」。沼須という地区の砥石神社のところにある。
会合が終わると、皆それぞれ車に乗って出て行くが、私はそれを見届けて、カメラバックを担いで歩き出した。
私の祖母の実家が、片品川沿いの上の方で、子供の頃何度もこの近辺をバスや父親の車で通った。
その時の思い出に、真っ直ぐに片品川に延びる道に、整然と古い家々が並ぶ光景がある。
あれは、宿場町だろうか。
街道なのだろう。
しかし、なぜ道の先に橋がないのか。
蚕が主で、桑畑や田んぼの農村地帯に、突如として整然とした街があるのだから、それは不思議だった。
そんなことをいつも思っていたが、父親が怪我をして入院をするようになってからは、殆ど祖母の実家には行かなくなってしまった。
ところが、最近は沼田市の根利地区でボールドウィンという機関車の修復活動をするようになり、再びこの辺りを、今度は自分のビートルで走るようになった。
皆が帰るのを見届けながら、辺りを眺めてみると、子供の頃の光景が間近にあった。
「ここだ。」と私は、口に出していたと思う。
砥石神社から真っ直ぐに伸びる道。その両脇には、今でも立派な古い家々が残る。道路が坂を下りたところから広いのは、街道の宿場だったからではないかと思う。
その証拠に片品川に近いところまで行くと、道の脇を川が流れている。宿場だったに違いない。
雪がちらつく中、真っ直ぐに片品川に向かう。道は、今でも土手を登るようになって終わっている。ここには橋があったのではない。渡し場があったのだと感じる。
帰ってから調べてみると、沼田街道には、沼田の入口で、二手に分かれ、以前紹介した戸鹿野橋で利根川を渡る「西通り」と、この沼須の渡しで片品川を渡る「東通り」というのがあるらしい。
西通りは、戸鹿野橋が出来ると、多くの人が利用したらしい。そう考えると、それよりも前は、沼須の渡しがメインルートではなかったかと思える。
この真っ直ぐに延びる道を見ていると、歴史を感じざるを得ない。
行く途中で、一人でボール遊びをしている子供と会った。
「今日は寒いね」と声を掛けると、
「うん、寒い」と返ってきた。
閑散というよりも、「人っ子一人いない」と表現するのが適当な感じの通りには、日向ぼっこをする猫や犬が目に付く。一匹の犬は、風が冷たいらしく、犬小屋に頭から入り、立ったまま大きく震えていた。
そんなちょっと寂しい場所なのだが、この一直線の街道は、往時の華やかさ、賑やかさを伝えている。
砥石神社から片品川まで歩き、戻ってきただけ。それでも写真を撮りながら一時間はカメラを持って歩いていただろう。
戻ってきて砥石神社に近付くと、カメラを持つ手は、ポケットに入れても温まらないくらい冷たくなったいた。
それでも、私は嫌な気は全く無かった。むしろ嬉しかった。
寒い中を歩いたのだが、戻ってくるまでは、殆ど手の冷たさを感じていなかったことでもわかる。
子供の頃から気になっていたところを、自分の足で端から端まで歩いた満足の方が大きかったのだと思う。
とても良い所だった。
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