浅間山の小噴火に思う
ドカンという音共に、柱におっ掛かってテレビを見ていた私は、下から重いきり突き上げるような振動を身体中で感じたのだった。
「近所のガソリンスタンドが爆発した!!」
とっさに私はそう思うと、急いで外に駆け出した。
私は、家から一番近いスタンドへむかい、そこではないと確認すると、そのすぐ先のスタンドへ走り、そこでもないと確認すると、歩道橋へ駆け上った。
その瞬間は、前橋の市街地にいても噴火の様子が良く見えたらしいが、私は歩道橋からどこからか火の手は上がっていないか、煙は上がっていないかと見渡しが、何も確認できずに、「何だったんだろう」と思いながら家に戻った。
尚、ここまでの写真は昭和48年、50年に撮影した浅間山と鬼押し出しである。
その後はしばらく小噴火が続き、中学1年の頃にも、前橋に火山灰が降り、学校から帰ると頭の毛の中がざらざらしたのを良く覚えている。
免許を取った頃も、火山灰が降り、カラス質の火山灰をワイパーで擦り、フロントウィンドウが傷だらけになったこともあったように思う。
1986年から、毎年5月末に、仲間と一緒にワーゲンで軽井沢に行っているが、ここ何年かは、年頭に噴煙が上がり、果たして今年は大丈夫かと思うことが続いている。
今年は、少し危ないのではないかと思ったりもする。
ところで、火山の噴火予知も、実績が重視される様になり、予算が取れずに火山の調査、研究がされなくなってきているとラジオで聞いた。何年か前に地震予知でも、同じようなことを聞いたが、雲仙普賢岳の噴火は200年振りだったと聞けば、「何が実績主義だ!」と思ってしまう。
身近なところで例えれば、駐車違反の取り締まりの民営化も、「検挙した実績主義」だったと思う。でも、優秀なところほど、駐車違反が減り、検挙率の少ないところほど、優秀であり、そちらへ報酬を払うべきではないかと、そんなニュースを聞いた時に思ったのだが…。
すぐに実を結ぶかわからないことでも、必要なモノには費用をかけておくべきではないか。今の日本の世の中、目先の利益や、効率ばかりで、民間会社にしてもそれでいいのか。将来を見据えて今から投資をしなければ、将来の利益も得られないのではないかと思わせるところばかり。
経済大国から、少しずつ下り始めて来たら、目先の事にしがみ付く様になってしまったようだ。こんな世の中だからこそ、先を見据えて、マイペースで生きていきたい。自分にとって良い人生になるようにと思う今宵であった。
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