国道50号 前橋市三河町付近を
祖母の家は、国道50号沿い、三河町だった。子供の頃は「カタカイ」と言っていたが、あの辺りも昔は、片貝町だったのだろうか。それとも祖母は元々片貝町からやって来た人だったのだろうか。
国道50号と駅前通の交差点は、商工会議所があり、その隣に油屋旅館。そして隣が、バナナ屋だった。大きな間口で、奥までバナナしか並んでいない店が、二件並んでいたように記憶する。
時には、50号の裏を歩き、駅から来た道に出たところのお茶屋に寄った。だから、みやげはバナナか、お茶屋さんの砂糖菓子だった。
今から40年前、50号には沢山の店が並び、祖母の家から帰る途中で、夕飯のおかずが揃い、私も時折、お菓子なども買ってもらった。
今ではドーナッツ化や、高齢化、そして後継者が居ないなど、様々な背景があるだろうが、殆どの店が閉まってしまい、残された建物もわずかとなっている。
閉まっていても、建物が残っていてくれると嬉しくなる。前橋駅から英数学館に出てきた道路との交差点には、そんな子供の頃を思い出させる店が残っていた。
この交差点は、国道と駅へ向かう道路の分基点であり、昔から立派な交差点で、私はとても好きなところだった。
英数学館の角を過ぎてしばらくは、両側に古い店が残っている。50号の北側には花環を扱っている店があった。お祝いや葬儀で並ぶ、あの大きな花輪だ。
だから、店の前には幌付きのトラックが、いつも1台か、2台停まっていた。時には、何人かで道路に出て大きな花環を積み込んでいた。
そんなことをしていても、誰の邪魔となることはなく、片側一車線だがとても広かった。歩道も、大きな枝垂れ柳が点々と並び、私は従兄弟たちは、そこを遊び場にしていた。
私の母親は、その先の道路南側にある呉服屋の「西尾」の洋装部で働いていたこともあった。祖母の家、母親の実家の近くだから、結婚前からそこで働いていたのかもしれない。
私は、時折そこへ連れて行かれ、時には父親と車で迎えに行った。西尾の手前の角にはプラモデル屋があり、そこを入ると本屋があり、西尾の帰りに寄ってくれたことも思い出す。
西尾の先には薬屋があり、ゾウの遊具に乗せてもらったことも思い出した。もうしばらく前から、その辺りは空地になっている。
その先には銭湯の煙突が良く見えた。
しばらく行くと日赤があり、その辺りは今でも何件かの商店が営業している。日赤の先の角で、右に伊勢崎方面に行くのが前橋古河線だと思う。以前、昔の写真を見たとき、国道50号はなく、道路が行き止まりの様になっていたことを思い出す。
国道50号ができてから、日赤もあるし、桐生と伊勢崎への分岐で、この辺りは賑やかだったのではないかと思う。
この辺りこそ、店は殆どやっていないが、新しく出来た分、建物が残っているように感じる。
伊勢崎方面への交差点を右折すると道路は極端に狭くなるが、古い大きな商店が「焼きまんじゅう」の看板を掲げていて、古い街道であることを物語る。
とにかく今は交通量の多い国道50号。車で走り去るだけのところであり、せいぜい寄るのも、マックやユニクロ、スーパーぐらい。私自身もそうだが、今でも古い建物が、これほど残っていると分かっている人は少ないだろう。
車道は片側二車線で、安全のために何度か拡幅され、歩道はそのたびに狭くなった。今日歩いていても、自転車が来たら怖いほど。歩く人には殆ど出会わず、これは歩道ではなくて、自転車道として造られているのではないかと思った。
それにしても、歩いて随分と来てしまった。バスも当てにならないし、帰りは国道50号の裏手、私が良く遊びに行った鯉池のあった方を歩いて帰ることした。
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コメント
こんにちは。あまりの懐かしさからコメントをさせていただきました。私は昭和31年に前橋の本町のギリギリで生まれました。住んでいたのはもう64年前の幼い頃で、国道50号線と駅前通りの十字路近く、油屋旅館の並びで、50号線の向かい側に八百助という八百屋がありました。遊び場は裏を流れる馬場川(ばばっかわ)や東福寺、たしか大盛堂という本屋も並びにありましたね。
三河町は新しい町名で江戸時代からあったと聞いている芳町や萱町、新町、片貝、あと他に何町かがまとめられて三河町になったそうです。他には桑町、紺屋町、横山町、竪町(たつまち)、立川町、曲輪町、北曲輪町、南曲輪町・・・・残しておいてほしかった町名ばかりあったと聞いています。
前橋は幕末に生糸貿易で大いに繁盛し、関東では東京、横浜、水戸に次いで4番目に市制をしいたと聞いてます。よく群馬では高崎と比べられますが、私は落ち着いた前橋が今も好きです。
今では東京での暮らしが人生の中で一番長くなりましたが、それでも私の原点は前橋の本町、芳町、萱町、新町、片貝界隈だと思っています。ありがとうございました。
投稿: トクチャン | 2020年5月 3日 (日) 17時35分