2009 新春のお喜び…。
もっと早い時間に出たかったけれど、どれも切が付かなかったという感じだろうか。
写真を撮るにしても、あと1時間。でも近所の蔵を撮るには、日の向きがちょうどいい。などと理由をつけて、利根橋に向かった。
その昔、前橋駅は川の西側にあったらしい。東側は両毛鉄道が小山方面より延びてきて、それで初めて、西側にあった前橋駅が、利根川を渡って、今の所に移ったようだ。
だから両毛線に沿って利根川を渡っている「利根橋」の歴史は古いようだ。
子供の頃の利根橋はとても古くて、狭くて、渡るのが怖いほどだった記憶がある。ある時、自動車が通行止めになった記憶がある。その隣にでも新しい橋が造られたのか。
利根橋を渡ったところ、石倉町は以前は前橋駅前だったということだ。それを知ったのは中学になった頃だろうか。道理で古くて立派な郵便局があるのだと思った。でも、その郵便局もいつの間にか取れ壊され移動していた。
高校時代の友人の家があり、30歳の頃、私の知人がこの通りの古い店を借りていたこともある。あの時から道路の拡幅工事が始まり、古い道路沿いの店が消えていったのだろう。私の知人の店も、数ヶ月に及ぶ道路工事で客は入れず、道路が綺麗になった頃は、店を閉めていたのを思い出した。
もっと早く、ここに写真を撮りに来たかった気持ちは、以前からあったが、そんなことをしている余裕はなかったのだと思う。もっと面白いと思うことがあったのだと思う。
もう諦めていた。石倉の昔の景色はなくなってしまったと。ところが、最近、東京に行くときに二階建てのグリーン車に乗るようになって、意外と古い瓦の屋根が残っているのに気が付いた。
通りから少し入ったところに、銭湯の煙突も残っているのに気が付いた。今更で恥ずかしいのだが。今までずっと写真を撮って歩きたかった「石倉」にやって来たのだった。
寒いし、日は傾きすぎたし、コンビニもないし、また今度来ることとして、群馬大橋に向かった。傾いた太陽は、赤城山を鮮やかに照らし出していた。
橋を渡ると、コンビニに向かうように国道17号を渡る。そこで二軒の古い住宅に気が付いた。写真を撮り始めると、そこの住人らしい人が見えたので、声を掛ける。
なんでも、昭和28年、群馬大橋が出来た年に、実家のある新潟から材木を取り寄せて立てたのだそうだ。庭の奥に案内されると、物置があったが、それは群馬大橋のたもとにあった昔の中学の渡り廊下の一部だそうだ。取壊したときに、父親と二人で持って来て物置にしたという。
物置の脇を見ると、なんだか懐かしいものが転がっていた。「かまどですね。」というと、また説明をしてくれた。近所の有名なかまど屋さんで作ってもらったらしい。
元々は、前橋駅の方、当時の田中町に住んでいたらしいが、大正時代にここに引っ越したらしい。その頃は、武家屋敷というか、武士が住む家が残っていた地域らしい。道路も、城の近くであり、ジグザグで、どの道も真っ直ぐに向けていなかったらしい。
寺の東に細い路地があるが、それが当時の道の名残らしい。
充分に日が暮れるまで、そのおやじさんは楽しそうに話をしてくれた。
石倉に出掛けたことは、ちょっと申し訳なく感じたが、こうして話をしていると良かったと思う。世の中、どんどん変わっていき、昔のことを知っている年配も、随分と少なくなってしまった。だからこそ、こうして歩いて古い建物などを見つけ、古い人間と話をする。いい事だと思いませんか。
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