115系ファンの皆さんへ
一枚目は、上越線敷島駅付近だと思う。撮影は「昭和47年の春」とある。私が中学1年だか、2年の頃だ。自転車での榛名山一周を半日で走破し、今度は赤城山を一回りしようと出かけた時のもの。川原で飯盒炊飯をしていたら電車がやって来たので撮ったもの。
こちらは、昭和47年8月30日とあるが、まあその頃ということでさなかではない。場所は、前橋駅付近。大きな円筒状のガスタンクがあり、その脇の路地の踏切。車は通れず、もっぱら朝は通学路となる遮断機も警報機もない、とても便利な踏切。
前橋駅から新前橋方向に向かって2つ目。一つ目は踏切番がいて、やたらな事をすると怒られてしまうが、ここは治外法権(!?)。貨物の入れ替えも、この辺りまで来たような感じもするが、長閑な時代だった。
時は流れて昭和49年6月20日。上越線の岩本駅である。敷島から歩いて岩本を目指した時のもの。結局、最後は国道17号でダンプカーが拾ってくれて、予定よりも早く着いてしまった。
駅の向こうでは、まだ砕石全盛期である。昨年一度立ち寄ったが、砕石の引込線の陰も形も、いや形も面影もない。
こちらは、同年8月頃のもの。2つ前の写真と同じく、ガスタンクのところの踏切である。ライトが大きくて、なんだか「だるま」のような顔つきだ。枕木の柵に女の子が二人、腕をかけて電車を眺めている。
ここは、私の自宅から一番近い踏切だった。小学生の頃は、この辺りで「ワムワムワラワムタキタキワムワム…ヨ。」などとカタカナを読み上げていた。
昭和50年7月20日の前橋駅一番線。朝一の上野行かもしれない。私は逆の小山行きを待って、葛生に出掛けたのだろう。
左手には、貨物ホームがあり、端にスイッチャーが停められている。
最後は昭和51年5月14日の両毛線桐生駅付近。高校総体の写真を撮りに来て、折角桐生に来たのだからと、そのまま上毛電鉄の写真を撮りに行ったときのもの。
左手奥には、足尾線の貨物列車だろう、タキが並んでいて、DE11が入れ替えをしていた。
まあ、私にとっては115系はとても身近な電車だった。ただそれだけであり、「この車両が、何番台で、どうのこうの…」という能書きは勘弁して欲しい。好きな人が見て、「お~、これは!」というネタにしていただければ幸いである。
また、気が向いたらろ、この頃の115系を取上げたいと思う。期待しないで待ってて欲しい。
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