私は線路が好きなのかも…。
昔の油力発電所というものがあった建物。油力発電とはディーゼルエンジンで発電機を回すもの。コンクリート製で戦時中の迷彩塗装も残る建物。随分前から知っていたが、ある日、たまたま出入口が開いていた。
覗いてみてビックリした。発電機やディーゼルエンジンは既になくなっているものの、コンクリートの床に埋められ線路が。向こうから入ってきて、中で直角にカーブしている。別にポイントなどがあるわけではないが、実際の鉄道というものは、そんなものかも知れない。
そう聞いたら、じっとしてはいられない。すぐに翌日行ってみると、工場の駐車場に、ずっと線路が残っていた。一部取り外しやすいところは撤去したようだが、東武の駅に向かって延びている。
どうも、普段は車が駐車されていて見えないようだ。それがたまたま正月休で車がいなくなり露になっていたのだった。
「東京の鋼材屋に、まだ線路が残っているらしいよ」またまた、素晴らしい情報が。ちょうど仕事で行く用があり、そのついでに寄せてもらった。
話によれば、昔は所狭しと線路が敷かれていたらしい。しかし、町工場も時代の流れとともに、千葉に移り、ここは倉庫になってしまった。
それでも、倉庫内と、倉庫から外へ、2ヶ所に直線の線路が残り、現役で使われていた。
「裾野は長し、赤城山」上毛カルタの文句である。その裾野の、赤城山が見渡せる田んぼの中に一直線に伸びる線路があった。今はトロッコよりも一輪車の方が便利らしいが、手作りの線路の上に、手作りのトロッコが載っていた。
ここも以前から知っていたけれど、まさか線路が残っているとは思わなかった。トロッコ仲間と進入したところ、一部分、コンクリートに埋められた部分だけが残されていた。
果たして、この線路は、どこへ続いていたのだろうか。
線路だが、空地に積まれたレールである。細い15kgレールだろう。その近くには使用済みのブレーキシューがいくつも積み上げられ、トロッコから外したと思われる車輪もいくつか、モーターなどとともに倉庫のような所に並べられていた。
廃止になって撤去した…というよりも、磨り減ったレールやブレーキを交換したという感じだ。
この山のどこか、そう遠くないところに、今もトロッコの線路があるのだろう。それも現役で。
ところで、今年は何ヶ所かで、このような線路を見つけることが出来た。きっと私は線路が好きなんだと、最近ようやく自覚するようになった。
さて、今年の締めくくりは、最近発見した「線路らしいもの」。明日は、そこへ寄って、本当に線路なのか確認して、今年を締めくくりたいと考えている。
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