歴史を残す、高崎市
細長い空地が目立つのも深谷と同じ。随分と空地が目立つが、古い建物も残ってはいる。しかし、それもあとわずかと思わせるほど、道が変わってきている。
その昔、路面電車が走っていた通りも拡幅され、店舗は新しくなってしまっているが、一件だけ昔のトロッコの線路が残されている店があった。今は一つしか残っていない蔵は120年経つという。拡幅前は、この前に2つの蔵があったらしい。
「何年経つのですか?」
「あのクルマのナンバーと同じ。創業は1845年。」とのこと。
ここで、線路の話をしたらば、向いの今映画館のところも、以前は線路があったと。さらに本町三丁目の角を左に行くと、もう店はやめているが、まだ線路があるかも知れないとの事。
そこへ向かう途中も、路地に入ったり、出たり。路地から大通りに出てくると、斜向いに蔵の残る店が。行ってみると雑穀店だった。前に行ってみると、いくつもの桶が並び、様々な豆が並んでいた。
昼食を食べに、中央銀座のアーケードへ行き、そこから本町一丁目に向かう。その途中にも古い家が残っている。蔵も目に付くし、写真を撮っていると切が無いほどだ。
話を聞いてきた近所のお茶屋さんで、線路の話を聞くと、「うちも前は線路があったんだよ。」という話となってしまった。ここも、道路の拡幅で店舗を新しくしてしまったらしい。しかし、奥にはいくつもの蔵が連なり残っている。
期待していた線路が残っているかも知れない元商店のことを聞くと、「この辺には無いだろう。」とのこと。
店を出て、店主に「これから酒造に行きたい。こっちの方に行くと醸造所もあるでしょ。」と問いかける。
「ここを真っ直ぐ行くのが、旧中仙道なんだよ。そこを行って、坂を下ると岡醤油があって、その先の角を右に行ったところに古い酒造があるけど、もうやっていないじゃないかな。」とのこと。
真っ直ぐ行くと道は狭くなり、古い家が点在している。本物の中仙道だと実感する。
岡醤油は、なかなかの風情だった。大きいのと小さいのと、二つの煉瓦煙突が青空にそびえていた。
言われた通りに角を右に行くと、やはり古い建物が目に付く。しかし、酒造はどうも新しい工場になったようで、古い酒造は見当たらない。クルマだったら、簡単に一回りして様子もすぐ分かるが、徒歩だから、それらしいところを時間を掛けて歩くしかない。でも、そんなことをやっていると、車では気が付かないものも見つけられたりもするものだ。
酒造の脇の細い路地を抜けて、帰りは坂を登る。その坂の入口辺りに古いが立派な建物があった。その向いには、木造の屋根を持つ「赤坂モータープール」が。なんだか小学校の頃の景色のようだ。
正味一時間半は歩いただろう。ここから駅へと戻る。でも、帰り道は柳川町を目指して行きとは違う道を通るから、また面白いものに出会えるはずだ。
そんな気持ちで、柳川町を目指して、路地を歩くと案の定、趣のある景色が現れる。真っ直ぐ戻れば、一時間ほどだろうが、帰り道も随分と寄り道をしてしまった。
前橋の隣の高崎だが、前橋の十倍は昔の景色が残っている。「なんで今まで歩かなかったのか。」などとも思った。前橋の町も端から端までくまなく歩きたいと時々思うのだが、そんな簡単なことではない。まして高崎の町をくまなく歩くのは更に時間が掛かり難しそうだ。
それだけ高崎というところは、歴史の残っているところ、歴史の深いところなのだと感じたのだった。
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