重兵衛湯
「前橋温泉、重兵衛湯」というのが、私の頭の中に浮かぶ言葉。だから、私の中では「前橋温泉」だったが、数年前に知り合ったワーゲン仲間が「ジューベーユ」というので、最近はそちらの方がイメージで浮かぶ。
今年の春、もうやっていないような感じがしていたが、それは隣の重兵衛旅館が、占めてしまったから。そして、今年の5月には、重兵衛湯から出火して重兵衛旅館を焼いてしまったからかもしれない。
ところがある日、前を通ると、フォークリフトが、風呂の薪を運んでいた。
「まだ、やっているんだ」とちょっと嬉しくなった。
9月になり、ワーゲンの集まりで前を通る。
「朝7時からって書いてあるよ」と。
それで確信をもって、この日、23日に三河町から、ここまで歩いたのだ。
1954年創業らしい。きっと、そのときと同じ風情のまま、今まで来ているのだろう。
高校を卒業して、伊勢崎に通いだした頃、伊勢崎には「広瀬川温泉」「粕川温泉」「豊受鉱泉」…といくつもの鉱泉が残っていた。前橋では、ここぐらいだろうか。当時から珍しい存在ではあった。
銭湯というよりも、その後のヘルスセンターのような感じらしい。大浴場があって、大広間があって、風呂上りにそこで一杯やって、皆で盛り上がったらしい。
というのも。私はまだ入ったことがない。この日も入るつもりはなく、表から昭和の風情を撮影するだけだった。
まあ、酒蔵も写真を撮るのは、表側。外からの見た目の風情が良いと思うから。
この日も、撮影をしていると、午後とはいえ、まだ早い時間なのに中から、おばちゃんたちの明るい話し声が聞こえていた。
「私も、入るべきかしら。」とちょっとそんなことも思ったが、結局はまだ撮りながら帰る都合があるので、煙突の写真を撮ると、重兵衛湯を後にした。
もう少し生活にゆとりがあれば、
「とりあえず、今日の撮影はここまで」と割り切ってお風呂にも浸かれる疲れるのだと思うが。
まだ、そこまでの境地にはいっていないのだな。きっと。
町内の先輩たちと一緒に飲めるようになり、昼間写真を撮りに出掛けて、おじいちゃんやおばちゃんのやっている店で、ビールを飲みながら、駄弁ってお昼を食べられるようになり、それだけでも随分進化したと思う。
でも、まだお風呂に浸かれるところまでにはいっていないのだと思う。
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コメント
あつし様
はじめまして。
いつも楽しく拝見し、更新を心待ちにしています。
件の「重兵衛湯」ですが…
今年(2015年)3月末を以って閉店となりました。
自分も写真を撮りにいこうと思って今週末(4月5日)には、すでにファサードがビニールシートが覆われ、はや解体工事が始まっているようでした。
見慣れていた景色が突然と変わることには慣れっこのはずなのに、やはりさびしさを感じます。
それでも、あつし様が在りし日の風景を残してくださいましたことに感謝申し上げます。
今後も楽しみに拝見させていただきます。
ありがとうございました。
投稿: もックポ | 2015年4月 5日 (日) 20時54分
最近は、心躍ることが少なくなったのでしょうか。ネタが消えていっているからでしょうか。
なんか、あまり更新したいネタの日が少なくて。申し訳ないです。
私は重兵衛湯の正面の通りをあるいて、来々軒第二支店に行ったその晩に3月末で閉店と知りました。
私の一年先輩の同級生の家だったようです。昭和は消えていきますが、仕方がないですね。
年寄りも随分減ってしまったようですし。向かいの「ときわ食堂」や「来々軒第二支店」も心配です。
投稿: あつし | 2015年4月 6日 (月) 00時19分