« 台風一過の前橋市 | トップページ | 重兵衛湯 »

2008年9月23日 (火)

ここの辺は戦争で焼けなかったんだよ。

P9230079_ 本日は天気も良く、お墓に線香をあげたあと、そのまま前橋の三河町、城東町の方を散策してきた。

P9230149_ 前橋の街はワーゲンの6輪バスが走っていたが、いつの間にか、普通のおかしな顔のバスに置き換わってしまったようだ。

そのバスのターミナル(?)のあるところから、東へと行く。商店街もペナント募集や貸店舗の看板、貼り紙が目立つ。

駅前からの通りもそのまま横切り、更に東へ。

P9230152_ 商店街からずっと続く道。今は駅前通で分断されてしまった感じがあるが、ずっと東まで賑やかだったことを覗わせる。

特に、信号のある小さな交差点辺りから、良い雰囲気になる。

P9230167_ 旧大竹酒造が有名だが、その手前の旧牛乳屋さんも似たような造りで、奥には煙突の跡がある。ここも元々は牛乳屋ではなく、お酒か何かの醸造所だったのではなかろうか。

P9230179_ 古い家と家の間の路地を覗けば、その向こうには、戦後の前橋の風景が、そのまま残っていた。路地を抜ければタイムスリップできそうだ。

P9230193_ PHSを見ると、12時37分。ちょうど良いと、目の前のそば屋に入る。まず、ビールを頼み、もりそばのてんぷら付を頼む。

お彼岸のお中日の昼時で、近所の出前で忙しそうだった。店は比較的新しくなっているが、昔からあったと思う。

P9230177_ 会計のときに、昭和45年ぐらいまで、伯父さんが大竹酒造の向こう、広瀬川沿いに住んでいたことを告げる。

「あ~、あったね。あそこの路地の先に古いアパートがね。もう随分となくなっちゃったよね。古い家も。」

この辺は古い家がまだ多いという話をすると、

「あそこの信号から、こっちはなぜか焼けなかったんだよ。」と。

お寺が並ぶ古い町並み。米軍もお寺には焼夷弾を落とさなかったのか。

P9230198_ そば屋の隣には、食堂。今日は閉まっていたが、最近まで「カレー」ののぼりが立っていたような気がしたが、閉めてしまったのか。

食堂に続いていは立派なお宅がある。何か大きな商売をしていて、事務所も兼ねたようなつくりである。良く見ると所々に洒落た装飾が施されて懐かしい。

P9230209_ 中川小の辺りまで、他にも数件古い家が残って入るが、目立つのは、この蔵だろう。この蔵へ行く路地は、とても狭くて、軽トラが精一杯だが、その先には古い木造の家が、まだ少々残っている。

更に先の中川小の近くには「イシイパン」があり、戦後間もない頃、私の父親が世話になり、パン職人をしていたらしい。つまり焼け残っていたのかも知れない。

私の母親の実家は、中川小から国道50号を渡ったところ。この辺りは戦火で大変だったらしいから、ちょっとしたことで生死が分かれたのかなとも思う。国道50号を横切ってきた馬場川に焼けては困ると家財道具を投げ込み、また焼けては困ると、自分たちも川に浸かったと聞いたことがある。

今日は、三河町から上毛電鉄を横切り、城東町、そして重兵衛湯まで行ってきた。続きは、また次回。

|

« 台風一過の前橋市 | トップページ | 重兵衛湯 »

前橋」カテゴリの記事

酒蔵」カテゴリの記事

コメント

親の実家がパン屋で写真見て懐かしいかった

投稿: | 2009年3月23日 (月) 01時41分

ん!?もしかして、私の父親がお世話になったパン屋さん??

私の結婚式の時には、父親がそのパン屋さんにお願いして、
引き出物の私たち夫婦の名入のロールケーキを大量に作っていただきました。

投稿: あつし | 2009年3月24日 (火) 00時19分

孫15人の中の一人です

投稿: | 2009年3月24日 (火) 22時55分

あっ、その節は、父親がお世話になりまして。
今後とも、宜しくお願い致します。

投稿: あつし | 2009年3月25日 (水) 07時38分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/515771/23965879

この記事へのトラックバック一覧です: ここの辺は戦争で焼けなかったんだよ。:

» フィガロ中古車 [フィガロ中古車]
●フィガロ中古車がもりだくさん。 [続きを読む]

受信: 2008年9月23日 (火) 23時48分

« 台風一過の前橋市 | トップページ | 重兵衛湯 »