前橋は七夕でした
ちょっとした行き違いがあり、家を出るのが遅くなってしまった。案の定、ゑびすは終わっていた。その先の児童遊園地から来た通りのところにも大衆食堂があったが、やはり閉まっていた。
ただその向かい辺りには昔のタクシー会社の建物が残っている。懐かしい造りである。
昔は前橋の児童遊園地の脇の道沿いに商店が並んでいたのを思い出し、そちらに向かってみる。今は「るなぱあく」と書かれている遊園地だが、なんでも萩原朔太郎がそのように詩の中で呼んでいたかららしい。
木立が大きく育ち、昔よりも公園らしい風情が漂っている。
公園の北側にはぐるりと回るように小道がある。その脇には小川が流れ、緑の中に点々と花もある。小道を出たところの景色は昔とあまり変わらない感じだ。
道路を北へ向かう。緩やかなカーブを描き広瀬川を渡る道は、今もあまり広くなく、子供の頃とあまり変わらない。しかし、道の西側は、家がなくなっている。私が父親に連れられて何度か行った市川自転車も見当たらなかった。
広瀬川に掛かる橋は昔のままだから、道路はあまり広げられていない。今日の広瀬川は、水を満々と湛え、怖くなるぐらい気持ち良く、涼やかだ。しかし、橋を渡った先に目をやれば、左側の家々は殆どなくなり、道路の拡幅を待っていた。
この橋も間もなく掛け代わるに違いない。川沿いの路地を行きたかったが、工事で通れなかったために、ぐるりと回って反対から歩いてみると、古い旅館のような建物が、草に覆われながらも残っていた。表通りからは良く見えないが、この広瀬川沿いの一帯には、まだ何件か古い家が残っているのが垣間見れる。
以前、職安があった通り、昔の日産サニーのあった交差点の反対側のラーメン屋「大新」に躊躇なく入る。
初めての店だが「いいですか?」と入っていくと、座敷のカーテンを開けてじいさんが出てきて、なぜか安心する。
「ああ、いいよ。前商が勝ったよ」と高校野球の話。
ビールを飲み始めると、扇風機を隣のテーブルの上に載せて回してくれた。
午前中から30度を越えるような暑い日だが、クーラーのない店内で、背中に扇風機を浴びて。ビールが美味い美味い。
私が昔の堀川町で、親戚はタイル屋、左官屋、大工だと話をすると、戦後間もない頃から、土木関係の仕事をしていて、堀川町でも仕事を貰って働いたことなどを話し始めた。
「昔はみんなトロッコだったよ。そのうちにウインチが出てきてね。クラッチを、こうやって操作してね」と右手を前後に動かした。
1時間ほど話し込んだだろうか、おばちゃんが帰ってきた。お茶を冷蔵庫から出して、一口飲むと、カウンターの向こうで、ジャージャーと音をたてて料理を始めた。
小鉢に野菜炒めを入れて私に出してくれると、今度はおばちゃんとの話しになった。
そのうちにじいさんは居なくなり、おばちゃんと店を始めた頃や、子供の話で盛り上がった。
餃子しか頼まなかったが、お通しと、後から野菜炒めが出てきて、結局ビールを3本飲んでいた。
「ワーゲンがイッパイ売っていたよ」と言うので、帰りにその辺りを通ってみる。確かに、フリーマーケットにワーゲンのブリキなどをたくさん並べた店があった。そこで私が買ったのは、ブレーキペダルのゴム製のカバー。100円。
久しぶりの地元の七夕だが、混雑を避けるようにしつつも、七夕まつりの風情を楽しみながら家に向かった。
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