奥深き地元前橋
前橋駅に着いて電話を入れると、近所で飲んでいるので「来ないか」とのこと。自宅に荷物を置き、店に直行し、またまたその後に2件はしごをして、本日の予定はオジャンになってしまった。
本当は早朝に家を出て足尾に行くはずだったけれど、朝かみさんに「もう8時になるけど、いいの?」と起こされた瞬間から、足尾行きはなくなった。
それで、ワーゲンのクラブのイベント案内を郵送するために、本局・・・今は民営化したか・・・まで歩いて行き、写真を撮りながら帰ることとした。
最近気が付いたのだが、本局のある県民会館の周辺は、古い家が残っている。そんなこともあってのことだ。
封筒に料金別納のスタンプを141回押した後、近所を歩き始める。写真を撮っていると、年配の男性がこちらを見ているので、軽く会釈をして話しかけると、「この辺りは戦争で焼け残った」と言う。新しい家は多いが、その中に点々と戦前からではないかと思わせる家が残っている。
そんな景色というか、古い家を撮影しながら歩いているとこぼれ落ちそうなくらいの花を付けている木を見つけた。背後から来たおばちゃんが、「立派なシャクナゲだね」と言いながら立ち去り「石楠花」と知る。
どこまで行ったら良いのか、切がないくらい古い家が点在している。
「まさか、こんなに残っているとは」と道をあっちへ行って、また戻って、ジグザグに付属小の辺りまで行き、そこで諦めて、表通りにでる。
通りにも古い商店などが点在するが、大きな瓦の屋根を発見する。
「これは醸造所だ」とそこへ向かう。
立派な蔵が、3つほど見える。付属の前の歩道橋が目に入ると、そこに上って写真を撮っていた。
「立派である。」
何点か撮影すると、この通りもこの辺りで諦め、「才川通り」へと入る。ここも最近気になっていた、古い商店街である。
「才川通り」というのも言葉は知っていたが、この日に薬屋のおやじに、萩原朔太郎も詩にしたということとともに知った。
今は活気を失い、裏道として走り抜ける車がある程度。歩く人は殆どおらず、あとは自転車が、時折走る程度。
商店の多くは店を閉め、数件が残っているのだが、閉まっている店の奥には蔵があるところも少なくなく、往時の繁栄をうかがわせる。
「才川通り」「朔太郎も詩にした」ということを教えてもらう。
その先に見えるレンガ倉庫は、以前は南にもう一棟あり、この地域は、どこも「まゆ」だったと語る。レンガ蔵の手前には。まゆの取引所があり、旧住吉町の交番の角は、電車の車庫があったという。
そのすぐ南の細い通りがパン屋のところへ抜けているが、そこが当時の駅からの「メインストリート」と語ってくれた。
この辺りも戦争で殆ど焼けてしまい、戦後建てられた、家々がまだ残る。しかし、そんな家の多くは年寄りが住み、居なくなると壊されていく。
取り壊された家の向こうにレンガの蔵が覗くのは、ちょっと寂しい感じがする。
午前11時に家を出て、午後1時になっていた。昼食は「来々軒」と思い、向かってみるが、駐車場は一杯で、入るのを躊躇する。
そこで、行きに見た煙突を探すと、すぐ近くに立っていた。銭湯の煙突である。周りを歩いて、入口を探すが見当たらない。薪を積んでいるらしい軽トラの背後で何か音がするので、近付くと、じいさんが「3時からだよ」と威勢良く声を掛けてきた。
通りからちょっと奥まったところが入口で、まだやっているということだ。
「もう前橋でも8件になっちゃったよ」最近合併した大胡町なども含んでの件数らしい。
出来たのは大正時代。じいさんは震災の年、大正12年生まれ。子供の頃に一度建て替えられたとのこと。
じいさんは、「着いてきなさい」という感じで、ヨシズを開けて、銭湯の中に連れて行ってくれた。懐かしい番台があり、私が子供の頃と変わらないような光景が待ち受けていた。
番台の脇に越を掛けて、日の当たる表を見ながら、いろいろなことを話してくれた。
来々軒を諦め、向かったのは「ポンチ」。途中で、通りから先ほどの煉瓦の蔵を覗き見れた。
この辺りで仕事をしていたことが何度かあるので、ポンチのランチは良く食べていた。休日でランチがあったのか知らないが、「ソースカツ丼」とドリンクを頼む。
歴史ある食堂で、ネット上では取り上げる人は少なくないが、そのせいか、古い写真が店内に飾られていた。
「いい写真を撮ってね」と店をでると、国道17号に向かう。ここも古い家や店が残る。
一件の古い土蔵の前の梅が、大きな実を付けている。
「今年も、暖かいのだろう」と感じる。まだGWというのに、随分と草木も茂っている。
住吉町の交番の角の向こうは、「山二醸造」という醸造所だ。店は閉まり、その戸締りを確認して、今にも車で出掛けようという人がいる。
信号待ちが、とても長い。待っている間に「オリンパスですね。綺麗にしていますね」と話しかけられるが、自分の中では、山二のおやじさんが出掛けてしまわないうちに声を掛けたくして、まどろっこしい。
おやじさんは、もたもたと色々して、待っていてくれた。そんなわけでもないが、車に乗り込む前に話しかけられた。
随分と寂れた感じだが、今も現役との事。煙突は途中でなくなっているが、実は今のボイラーはの煙突は、その手前のステンレスのものだと教えてくれる。GWで休みだし、中の写真は撮らせないといいつつ、色々な話をしてくれた。
国道17号の山二の反対側には、「田中屋旅館」がある。先ほどの薬局のおじさんの話によれば、駅前のメインストリートの入口だから旅館があるのも納得できる。
山二も戦争で一部を残して焼けたらしいが、現在の通り沿いの部分は、電車が走るので道路が拡幅され、その時に建て直しているという。
それにしても、随分前の話ではある。
途中で休むかのように写真を撮って、家の近所に来ると、口笛を吹いた。
私の家から、大通りを挟んだところにいる犬へ向けてである。
2度ほど吹くと、気が付いたようで、耳を下げて尻尾を振り、こちらを待ち構えた。
誰にでもそうしているのかは知らないが、私が行くと、近付いてきて、痒いところを突き出してくる。
今日は背中からだった。蒸し暑い日だから、余計なのか、しばらくいじってあげても、そのままである。もう、こちらがいやになってきた頃に、仰向けになり、無防備な格好で、今度は「おなかをさすれ」である。
さするのを止めれば、「お手」をしてくる。そして「口の下をさすれ」、頭を突き出して、「頭をさすれ」。そして前傾姿勢になって、「首をさすれ」である。のんきな犬である。
帰ると、しばらくして一眠りしてしまった。目が覚めれば午後6時を過ぎ、成年会の集まりに遅刻していた。会計監査をして、その後は簡単な食事の後、飲み会である。
私にとっては約1年振りの会での飲み会となったが、子供が小さい頃からの付き合いだから、20年近くになる。だから、1年振りでも楽しく飲まさせていただいた。
地元といっても、知らないところは沢山あるし。地元ということで、初対面でも色々な話をしてくれる人もいるし。そして、一緒に飲んでくれる仲間が居る。いいね、地元というものは。
色々な面で、地元前橋を再認識する日となったのである。
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