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2008年4月 8日 (火)

食堂ゑびす

P4080072_ いやはや疲れた。契約していた会社との仕事を辞めて、別の会社からの仕事をするだけの事なのだが。色々と。

新しい年度に入った一週間の週末は、遊びで滋賀の朽木へと出掛けたのだが、その開放感でだろう。今朝はどっと疲れが出てしまった。

P4080007_ といって、いつまでも寝ているわけではなく、自宅で仕事をすることとした。

12時半頃、コンビにまでFAXをしに行ったついでに、昼食にした。先日、次男坊と地元の喫茶店に食事に行ったのだが、そのすぐ手前の食堂にのれんが出ていた。

「あれ、ここ営業しているじゃん」と、次はここと決めていた。

P4080011_ お店の前に行くと、一人の年配客が出て行った。入ってみると、2人組みと、もう一人、3人のお客さんがいた。

メニューで気になっていた「ハムカツ丼 500円」を頼み、おじいさんに、「写真を撮らせて欲しい」とお願いする。

おじいさんは、コロッケなどの揚げ物が並んだ店の中で、外をじっと眺めている。昔は、そうしていると、次々にお客さんが来たのであろうか、と思う。

P4080014_ おじいさんは91歳、数年前には心筋梗塞を患ったらしいが、私の頼んだハムカツ丼の調理をしていた。

その背後から写真を撮ろうとすると、その気配を察してこちらにやって来た。耳には補聴器をして、大きい声でないと聞こえない。それが、気配で振り返るのだから、元気なものだ。

おじいさんが手を離したフライパンは、おばちゃんが引き継いで調理をしている。年季の入ったコンビネーションだ。

P4080023_ ソースカツ丼の「ハムカツ版」で出てきた。どんなもんだろう…と思ったが、口にするとなかなかいける。トンカツではなく、ハムカツだから、おかずとして足りないのでは…とも思ったが、いやいや、どうして、これで十分!美味しく頂いた。

おじいさんが戦後間もない頃、横浜から出てきて、ここを事務所としていたらしい。その後、昭和30年頃に食堂に改装し、今に至っているとのこと。

それ以前、戦後だか戦前だかは知らないらしいが、この建物は国道17号の向こう側にあったのを、ここに移動したものらしい。

大きな屋根の下は、3つのお店と、大家さんの住まいと4つに分かれているとのこと。

朔太郎の家や、病院も残っており、妹さんとは付き合いがあったらしいし、朔太郎の家なのだと思うが、「記者さんが住んでいたよ。古い家に住むのが自慢だったんじゃないかね。」とも言っていた。

P4080030_もう80歳になるおばちゃんの話は、 お客さんが居なくなってから、1時間は続いた。

91歳と80歳。二人とも元気にやっている。でも、どちらかの具合が悪くなったら、この店も終わりだろうと思う。いつまでも元気にしていられるように、「ゑびす」に食べに来なければいけない。

営業は朝の7時過ぎから、昼過ぎの2時まで。機会があったら家族を連れて食事に行きたい。

ところで、仕事は、まあどうにかなるような状況だけれど、午前中に以前仕事をした会社から電話があった。アンケートの集計が中心なのだが、その中心の会社がなくなって、大騒ぎになっているという。

前兆は数年前からあって、関西の1社は、そことの仕事を減らし、4年ほど前から、私のところを信頼して、仕事を出してくれていた。ただ、一社だけで、年によって波がある。これはアルバイト的な仕事で、メインは別の仕事をしていた。

「これが数社あれば、この仕事で会社でも作ってやっていけるのに」とは時折思っていた。

ところが、メインの仕事の会社の契約を、別の会社に切り替えたとたんの、この電話。ん~、どうしようかな~。おそらく、全国には他にも困っている会社があるはず。新しく契約する会社と共に、このアンケート集計の仕事を拾っていこうかな…などと考えている。

さて、楽しい夢物語はここまでにして、とりあえず目の前の仕事に戻りますかね。

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