風呂川の向こうの方を
「風呂川」というキーワードが出たのも、川沿いに古い瓦屋があるのに気付いたから。
城の堀に水を引くための川だったらしいが、目立たぬように風呂川となったらしい。
私にとっては、美味しい通学路だった。中学に行く途中、風呂川沿いの小道を歩くと、ビワやザクロ、ユスラゴといった果実が四季折々に実っていたからだ。
子供の私でもすぐに川の名を覚えたのは、川から良く湯気が上がっていたからだ。なぜかといえば、川沿いにクリーニング屋があったからだが、小さい私はお風呂の様にお湯が流れていると思っていたようだ。
次に向かったのは、神社のようなものだった。
県道から家々の向こうに木立が見えたとき、かみさんが「あそこに何かあったよ。神社のような広場が」と言ったことで思いだした。
中学の頃、同級生と行った覚えがある。何だか古い広場だった。
前女の裏を歩いていくと、懐かしいものを見つけた。塀際の花壇に埋まったタイヤである。確か、私が子供の頃から、ここに埋まっている。ずっと埋まっている。
神社の木立が見えてくると、木造の立派なお宅が目に入ってきた。
最近まで住んでいたのだろうが、今は人気がない。この辺りは、線路の方まで、低い木造の家が並んでいたところだが、今は空き地が目立つ。友達の家などは、細い路地の行き止まりが玄関で「車が入れないが、どうするのだろう」というのが私の印象だった。
神社だか、何だか、全く記憶になかったが、「厳島神社」と書いてあり、敷地内には紅雲町二丁目の公民館が建っていた。
境内には、お祭りで使う山車小屋があり、その前にベンチが置かれて、長閑な雰囲気を醸し出していた。
古い家々が残っていたのも、年寄りが多かったからだろうが、今は随分と減り、空き地が増えている。きっとこのベンチに座るお年よりも減っているのだろう。
繭の取引所のようなものがあったような気がするが、果たしてここだったのだろうか。いったい何があったのだろうか。
その空き地の向こう側では、細い銭湯の煙突が、ほのかにこげ茶色の煙を上げていた。
もう少し歩くと利根川である。利根川の方へ細い路地に入り込む。
その奥の方に、アパートが残っていた。まだ綺麗に見えたが、門は閉ざされ、その手前は更地になっていた。
国道17号の一本裏道で家に戻る。気が付けば、国道は一部拡幅され、国道に面した古い家々は、殆ど取り壊されていた。
ネットで地図を見ると国道17号に「東国文化歴史街道」とある。しかし、道沿いの古い家々は取り壊されて拡幅されていく。文化も歴史と共に変わり、消え去って当たり前ということで、こんな名前が付いたのかと思う。
しかし、仕事で疲れた。こんなに疲れなくても良いと思うのだけれど、なかなか調子が出ない。こうやって歩くと随分と気楽にはなるのだが、なんだかスッキリ、シャキっとしない。
冬だからかな。暖かくなったら、もっと気楽にいけるかな。
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