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2008年2月28日 (木)

昭和の敷島駅

S47__15_ 敷島駅の写真があったので、今宵は、これて。

こちらは昭和47年の春。中学の時にサイクリングに出掛けた時のもの。

85_18_ こちらは昭和60年。子供が一歳を過ぎた時のもの。

13年の駅の変化はあまりないようだ。

変わったのは私かな。自転車でヒーヒー言いながら辿り着いた私も、奥さんと子供を乗せて、英国のスポーツカーでちょいと寄った感じ。

私の父方の祖母の実家は、沼田だったから、何かあれば沼田へと行っていた。だから小さい頃から敷島駅を列車で通過し、駅前を車で通り抜けた。

渋川駅は国道から外れていたから、あまり印象はないが、こちらは、ここから山深くなるようなところで、敷島駅付近の光景は良く覚えている。

まあ、とても小さい頃は、渋川の駅前を横切った感じもするが。

21歳ぐらいの頃かな。利根郡追貝の女性とお付き合いがあった。

一時期、良く会っていて、何度か追貝まで行った。追貝は沼田の先、祖母の実家の近くを通っていくから、あまり遠い感じはしなかった。

そんな時の帰りだったか、彼女と敷島駅で待ち合わせをして、どこかへ出かけた帰りだったかな。

彼女と別れて、車に乗って、走り出したらお金がない。それも1万円!当時は大金である。なんせ1万5千円で車で名古屋往復、1泊2日をしたぐらいだから。

薄暗くなった頃、敷島駅まで戻ると、車を停めたところに何かある。近付けば四つに畳んだ1万円札。

「あ~良かった」である。

敷島駅の写真で、妙なことを思い出してしまった。でも、あれから、敷島駅の前を横切ると、必ずといっていいほど、彼女の事ではなく「1万円札」のことを思い出すんだよな。

私は、渋川から橋を渡って、また、佐久発電所を通って、敷島駅へ行く道が好きだった。山添を行く、線路と道路が、交差する。その光景が好きだった。

今もあの辺りは、線路と道路が交差して好きである。そして、そこから国道とは利根川を挟んで沼田へと続く「日陰」の道が好きである。

なんだか、昔の風情が残っている。

しかし、今は敷島駅はどうなっているのかな?

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コメント

こんにちは。敷島駅を検索していたらこちらにたどりつきました。私は静岡市に住む32歳の男性です。以前敷島駅の近くに住んでました。住んでた場所は赤城村津久田ですが最寄駅は敷島です。歩いて7分くらいの場所です。赤城村に住んでいた期間は10年近く弱です。ですので木造瓦屋根の駅舎と近代的な駅舎と両方の駅舎を利用したことになります。今は無人駅ですが以前は平日に駅員さんがいて切符の販売などを行っていました。駅の隣に群馬銀行と反対側にスーパー田子とどちらもお世話になった場所です。職場が渋川市内でしたので大正橋や佐久発電所、綾戸周辺なども今となっては懐かしいです。群馬を離れて4年が経ちますがこの秋にでも訪れてみたいです。

投稿: マキオさん | 2009年8月24日 (月) 22時49分

マキオさん、ようこそ。
敷島駅辺りは、関越ができる頃に、随分変わりましたね。
私などは、その前の印象が大きくて、時折走ると道が分からず、混乱することがあったりします。
まあ、以前と比べると、敷島駅側の日陰の道で沼田へ向かうことも少なくなりました。
棚下の前後は、道も悪いですし、道幅も狭いので。
それに、関越のお陰でしょうね。国道17号も、空いていて走りやすくなりましたので。
そうそう、17号も白井宿あたりから、その北の方までパイパス化されて、こちらも印象が変わってきています。

それでも、少し入れば、昔ながらの景色が残る良いところだと思っています。

投稿: あつし | 2009年8月25日 (火) 07時19分

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