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2008年2月 6日 (水)

足尾の山小屋

2007040108_m1_09_ 「足尾の山小屋」というと、足尾銅山の荒涼とした山の中の小屋を想像したが、実は銅山観光のすぐ近くにある。

閉山前、坑夫として働いてきた憩いの場所である。

P4010027_ 足尾の砂畑。私はずっとスナバタケと読んでいたが、「すなはた」と読む。

昭和50年代に一度歩いた事があるが、その後は歩いた事はなかった。

なぜ歩いたかというと、砂畑には「砂畑鉱山」と呼ばれたところがあり、構内電車がそこまで行っていたからだ。

現在の吊り橋の下、少し上流側にもう一つ吊り橋があり、さらにその隣りに構内電車の橋が掛かっていたらしい。

その残骸はないのか、面影はないのか、と車検を取ったばかりの次男のビートルの試運転を兼ねていったのだった。

しかし、渡良瀬川の護岸工事も行われ、工場が出来、病院が建ち、どこを走っていたのか、今や難しい。

それでも往時を偲ぼうと、砂畑を歩く。銅山観光の対岸は、比較的新しい住宅が建ち、一家に1台の簡易的な車庫が並ぶ。時代も変わったと感じるところだ。

その先、行き止まりに山小屋があった。というか、蒔き割をしている人に声を掛けたのがきっかけだった。

「どこから来たんだい。」という話に始まり、「山小屋に寄っていきなさい」となったからだ。

「山小屋?」と思ったが、すぐ隣りにある車庫兼物置のような建物がそうだった。

皆で勝手に作ったらしいが、古河の土地だから、なんでもいいらしい。

中に入ると、4人ほどがダルマストーブを囲んでいた。蒔き割りはこのストーブのためだっようだ。

先に2度ほど「どこから来たんだい」と訊かれていたが、ここでも、どこから来たか訊かれてしまった。実は、蒔き割をしていた人に、その後も「どこから来た」か聞かれてしまった。

皆、閉山前は坑夫をしていたらしい。その後は古河の行為で仕事をもらい、こうして足尾に残っていられるとか。

砂畑は、「渡瀬荘」という施設があった。今はアパートになっているが、敷地の周囲の感じは、当時の面影を残す。

ここは、「珪肺」という病気に掛かった人が、療養のために入院していた施設だ。坑内で毎日粉塵を吸い、珪素の粉で肺がやられてしまった人が療養していたのだろうと想像している。珪素の粉塵は、きっとアスベストの粉塵のような物だろうと思っている。

炭坑では、粉塵で記憶を失う人がいたらしいが、話をしているとどうも変な感じだ。「珪肺」で苦しむほどではない様だが、粉塵でやられているのかと思わせる会話が1時間ほど続いた。

「お茶を飲んでいきな」と言われたものの、お茶菓子はもらったが、お茶は一向に出てこなかった。

P4010041_ とても足尾を感じる一時だった。

今年は日本酒でも持って、お邪魔するかな。

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