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2008年1月26日 (土)

前橋駅前から

P1260047_ 前橋駅も貨物扱いがなくなり、高架になり、昔の駅前の光景を思い出すのも難しいほどだ。

それでも、高架のホームで電車を待つ間、ちょっと懐かしい建物なとが目に入る。

P1260021_ 特に駅の東側は、殆ど行かないが、有名な上毛倉庫のレンガ倉庫などもある。

そこで、前橋駅前をちょっと歩くことにした。

駅前通の1、2本西側の道を歩く。イトーヨーカドーに出る前に、瓦屋根の病院風の建物が。窓枠などが洒落ていて、良い雰囲気だ。

P1260037_ 駅前通は、殺風景だった。古い旅館が1件。今はビジネスホテルを名乗る。

東側は、古い小さな商店が数件建ってはいるが、やっている気配はない。

取り壊されて空き地や駐車場が目立つ。

その隙間から、レンガ倉庫が覗いているが、土日は見学は出来ないのだろうか。門が閉ざされていた。

P1260063_4 上毛倉庫の前を横切り、その先の信号の四つ角に古い商店が残っている。

駅との間には日通の倉庫があったが、跡形もない。この商店が今でも駅前の賑わいを想像させる唯一の建物かも知れない。

写真を撮り始めると、倉庫の方に行くおじさんの姿が見えたので声を掛けてみる。

「古いですね。」

「古いよ。昭和4年だから80年ぐらいになるよ。」

金属製の装飾品などは、戦争で全部供出したのだそうだが、空襲でもあれば駅前だから一番に焼けてしまうだろう・・・などと思っていたそうだ。

ところが、アメリカ軍は鉄道や駅、県庁などを空襲しなかったそうだ。ただ駅前は殆ど焼けたらしいが、

「ここだけは、なぜか、焼けなかったんだよね。」

「この向こうの方も、なんたが知らないけれど、焼け残ったところがあったよ。」

と言う。

今日これから行こうと思っている辺りだ。

P1260079__2 この商店の脇の広い通りを国道50号方向へ歩く。ちょうどの商店と国道の中間に古い通りがある。

駅のところは道路は横切れなかったために、ここが線路の向こうへ行くメインストリートだった。

だから、子供の頃に、この通りに買い物に来た覚えもあるし、ここから国道までの間も商店が連なり、祖母の家に行くときに、その中のお茶屋さんに良く寄り、動物や花などの形をした砂糖菓子を買ってもらったのも覚えている。

今は殆ど商店は残っておらず、八百屋だけが、元気に店を広げていた。

P1260097_ 国道との角は、私の子供の頃から広くて、美しい作りだ。そこには洒落たデザインの「英数学館」が今も残る。国道もこの辺りは点々と古い商店などが残っている。

国道を渡り、中川小側に行き、馬場川沿いに戻る。

歩き始めてすぐに、ここに駄菓子屋があったことを思い出した。この通り沿いは、今でも4つのお寺が並んでいるが、お寺によっては子供の遊び場があるところもあり、小学校高学年の頃、時折遊びに来ていたのだ。

はて、どこかなとと思うと、すぐ先に「総合食料品」という煤ボケた看板が目に入った。どうもここのようである。しかし、当時のような活気は感じられない。反対側は国道沿いで、新しい住宅もあるが、この辺りの古い住宅の多くがもう住んでいないようで、解体した空き地も多い。

P1260118_ 国道から一段下がった馬場川沿いから、広瀬側までの間は、道路も狭く、今でも古い家が残っているのには、ちょっと驚いた。

お寺とお寺の間の通りを行くと、突き当たりに古い住宅があり、その向こうには雪で薄っすらと化粧をした赤城山が見えていた。

その住宅の前は駐車場になっており、路地を少し入ったところの、古い石積みの蔵と土蔵を露にしていた。

私は、そこへ吸い込まれるように歩いていった。蔵の先の両側には、私が幼い頃に見ていた木造の家が並んでいた。しかし、そこは殆どが廃屋だった。

その後は、広瀬側と駅前通りとの間のこの地域の通り抜けられる路地から路地へと歩いていた。

広瀬川が近付くと、踏切の音が聞こえていた。小さい頃、私の従兄が広瀬川沿いのアパートにいたのも思い出す。裏へ回って、川の向こうを走りぬける上毛電鉄の電車を見たものだ。

・・・とりあえず、また明日も歩こうと思う。

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